相続の話題から距離を置きたくなる心理
相続の話し合いに参加していると、どこかで「距離を置きたい」という気持ちが浮かぶことがある。逃げたいというほど強くはない。ただ、この話題から少し離れたい、という感覚。
最初は前向きに関わろうとしていた人でも、途中からそうした感覚を持つことがある。話し合いが長引くほど、その傾向は強まることもある。
距離を置きたくなるのには、いくつかの理由がある。
距離を置きたくなる瞬間
距離を置きたくなるのは、特定の瞬間であることが多い。
話し合いの場で声が大きくなったとき。誰かの発言に対して、別の誰かが感情的に反応したとき。同じ話が何度も繰り返されているとき。結論が出ないまま時間だけが過ぎているとき。
そうした場面に居合わせると、「この場から離れたい」という気持ちが自然と湧いてくる。その場にいること自体が、消耗するように感じられる。
感情的なやり取りへの疲れ
相続の話し合いには、感情が入り込みやすい。財産の分け方だけでなく、過去の不満や、家族としての関係性が浮かび上がってくることがある。
感情的なやり取りに巻き込まれると、疲弊する。自分が当事者でなくても、その場にいるだけで消耗する。仲裁に入ろうとすれば、さらにエネルギーを使う。
そうした経験が重なると、「もうこの話には関わりたくない」という感覚が生まれてくる。
自分の発言が影響を与えることへの躊躇
話し合いの場で発言することには、責任が伴う。自分が言ったことが、最終的な決定に影響を与えるかもしれない。
その責任を負うことに躊躇を感じる人がいる。「自分の意見で何かが決まってしまうのは怖い」「間違った判断をしてしまうかもしれない」。そうした不安から、発言を控えるようになる。
発言を控えると、次第に話し合いの中心から離れていく。離れていくと、ますます発言しにくくなる。
正解がないことへの疲労
相続には、明確な正解がないことが多い。法定相続分という基準はあるが、それが唯一の答えではない。家庭の事情によって、何が適切かは変わってくる。
正解がないまま話し合いを続けることは、疲れる。どこに向かっているのか分からないまま歩き続けるような感覚。
「誰かが正解を教えてくれればいいのに」と思うこともあるかもしれない。しかし、その「誰か」は現れない。自分たちで決めるしかない。その重さに、疲労を感じる。
話し合いが進まないことへの無力感
何度話し合っても、結論が出ない。同じ議論が繰り返される。前回の話し合いで決まったはずのことが、また白紙に戻っている。
そうした経験を重ねると、無力感が生まれる。「自分が参加しても何も変わらない」という感覚。その感覚が、話し合いへの関心を薄れさせていく。
関心が薄れると、距離を置くことへの抵抗も薄れる。「どうせ変わらないなら、離れていてもいい」という判断に至る。
距離を置くことで守られるもの
距離を置くことで、守られるものがある。
自分の精神的な安定。感情的なやり取りから離れることで、消耗を避けられる。話し合いのストレスから解放される。日常生活を維持しやすくなる。
距離を置くことは、自己防衛の一つの形。それ自体が悪いわけではない。
距離を置くことで失われるもの
一方で、距離を置くことで失われるものもある。
情報が入ってこなくなる。話し合いの経緯が分からなくなる。最終的な決定に関われなくなる。他の相続人からの信頼が薄れる可能性もある。
距離を置くことで得られる安心と、失われるものとの間にはトレードオフがある。どちらを選ぶかは、人によって違う。
距離の取り方が人によって違うこと
距離を置くと言っても、その程度は人によってさまざま。
完全に話し合いに参加しなくなる人もいれば、出席はするが発言しなくなる人もいる。連絡には返事をするが、積極的には関わらない人もいる。
どの程度の距離が適切かは、本人にしか分からない。ただ、その距離の取り方が、他の相続人にどう見えているかは、また別の問題として存在する。
結び
相続の話題から距離を置きたくなることは、特別なことではない。話し合いが長引けば長引くほど、そうした感覚を持つ人は増えていく。
距離を置くことで守られるものがあり、失われるものがある。どちらを選ぶかは、そのときの状況と、本人の判断による。
距離を置きたいという感覚そのものを、否定する必要はない。ただ、その感覚がどこから来ているのかを知っておくことは、意味があるかもしれない。

