遺言書があると聞いたとき、それだけで相続の道筋が見えたように感じることがある。親が生前に何かを書き残していたという事実は、家族にとってひとつの拠り所になりやすい。
しかし、遺言書が存在することと、相続がすべて解決することは、必ずしも同じではない。遺言書があっても、その内容をめぐって新たな問いが生まれることがある。遺言書は答えを与えるものというより、ある種の前提を示すものとして機能する場面がある。
遺言書があるという安心感の輪郭
遺言書が存在するとわかったとき、家族の間に一種の安堵が広がることがある。「親が何か考えていてくれた」という感覚が、相続という不確かな状況に対してひとつの足場を与える。
その安心感は、遺言書の内容を確認する前から生まれることがある。書かれている内容がまだわからなくても、「何かが残っている」という事実だけで、話し合いの方向性が見えたように感じる。しかし、その安心感は、遺言書を開封し、内容を確認する段階で変化することがある。
遺言書に書かれていないものが浮上する場面
遺言書には、すべての財産が記載されているとは限らない。親が作成した時点で存在していなかった資産、あるいは親自身が把握していなかった財産が、相続の過程で見つかることがある。
たとえば、遺言書には不動産と預金についての記載があっても、株式や保険、あるいはデジタル資産については触れられていないことがある。その場合、遺言書でカバーされない部分について、改めて話し合いが必要になる。遺言書があるからといって、すべてが自動的に決まるわけではない。
記載内容と現実がずれていたケース
遺言書が作成されてから時間が経過している場合、記載されている内容と現実の状況が一致しないことがある。遺言書に書かれている不動産がすでに売却されていたり、預金口座が解約されていたりする。
そうしたズレが発覚すると、遺言書の記載をどう読み替えるかという問題が生じる。「この不動産の代わりに、今ある別の資産を渡す意図だったのではないか」といった推測が始まり、家族間で解釈が分かれることがある。遺言書が存在していても、その適用には余白が残る。
遺言書の解釈が分かれる瞬間
遺言書の文言は、書いた本人にとっては明確だったとしても、読む側には複数の解釈が生まれることがある。「長男に自宅を相続させる」という記載があっても、自宅の範囲がどこまでを指すのか、付属する土地や建物はどう扱うのかで意見が分かれることがある。
また、「公平に分ける」といった抽象的な表現が含まれている場合、何をもって公平とするかは人によって異なる。遺言書があっても、解釈の幅が残っている限り、話し合いは避けられない。
遺言書が感情を刺激することもある
遺言書の内容が、家族の感情を揺さぶることがある。たとえば、ある兄弟には多くの財産が渡り、別の兄弟には少額しか残されていなかった場合、その差に対して納得できない気持ちが生まれることがある。
遺言書は親の意思を示すものとして尊重される一方で、その内容が「なぜそうなったのか」という問いを引き起こすことがある。親に直接聞くことができない以上、その問いに対する答えは見つからないまま残る。遺言書があることで、かえって感情的な波紋が広がる場面がある。
遺言書があっても話し合いが必要になる構造
遺言書が存在していても、相続人全員がその内容に納得するとは限らない。法律上、遺言書の内容に従う義務があるとしても、遺留分の問題や、遺言書に記載されていない財産の扱いなど、話し合いが必要になる場面は残る。
また、遺言書の執行にあたって、誰がどの手続きを担当するのか、費用をどう負担するのかといった実務的な問題も生じる。遺言書は方向性を示すものではあっても、すべてを自動的に処理してくれるわけではない。
遺言書に依存しすぎることで生まれる空白
「遺言書があるから大丈夫」という前提で相続を捉えていた家庭では、遺言書がカバーしていない部分に対する準備が不足していることがある。遺言書がすべてを解決してくれるという期待が強いほど、その期待が外れたときの戸惑いも大きくなる。
遺言書に頼りすぎた結果、家族間での事前の話し合いが行われず、遺言書の内容を知ったときに初めて各自の考えが明らかになる、というケースがある。その段階から話し合いを始めるのは、予想以上に難しいことがある。
形式の問題が後から発覚する場面
遺言書には法律上の形式要件がある。自筆証書遺言の場合、全文を自書していること、日付と署名があること、押印があることなどが求められる。これらの要件を満たしていない遺言書は、法的に無効となる可能性がある。
親が遺言書を残していたことは確かでも、その形式に問題があったために効力が認められない、というケースがある。遺言書があるという事実と、遺言書が有効であるという事実は、別の問題として存在する。
遺言書が万能ではないという認識のズレ
遺言書があれば相続は円滑に進む、という認識は広く共有されているが、実際には遺言書だけでは解決しない場面が存在する。その認識のズレが、相続の過程で混乱を生むことがある。
遺言書は親の意思を形にしたものであり、尊重されるものではあるが、それがすべての問題を消し去るわけではない。遺言書があることで安心する気持ちと、遺言書では解決しきれない現実との間に、ギャップが生まれることがある。
結び
遺言書は相続の前提を示すものであり、すべてを自動的に解決する装置ではない。

