相続の話題から逃げたと思われる心理

相続と人間関係

相続の話し合いに参加しなかったり、途中で関わりを減らしたりしたとき、「逃げた」と思われているのではないかと感じる人がいる。実際に誰かからそう言われたわけではなくても、他の家族がそう考えているのではないかという不安が頭から離れない。

この不安は、相続から距離を取った後もしばらく続くことがある。自分の選択に理由があったとしても、その理由が他の人に理解されているかどうかは分からない。そうした不確かさの中で、「逃げた」という評価が自分に向けられているような感覚を持つことがある。

距離を取った理由は外からは見えにくい

相続の話し合いから距離を取る人には、それぞれの事情がある。仕事の都合で参加できない、遠方に住んでいて移動が難しい、体調や精神的な負担から離れざるを得ない、そうした理由があることが多い。

しかし、その理由は本人の中にあるものであり、他の家族からは見えにくい。話し合いの場にいない人の事情を、参加している人が正確に理解しているとは限らない。結果として、「なぜ来ないのか」「なぜ参加しないのか」という疑問が、「逃げたのではないか」という解釈に変わることがある。

説明しにくい理由を抱えている場合

距離を取った理由が、言葉にしにくいものであることもある。たとえば、話し合いの場の空気が耐えられない、特定の家族との関係に負担を感じている、過去の出来事を思い出してしまう、そうした心理的な理由は、他の人に説明することが難しい。

説明しにくいからこそ、理由を伝えないまま距離を取ることになる。そして、理由が伝わらないからこそ、「逃げた」という評価が生まれやすくなる。この循環の中で、本人は自分の選択を正当に理解してもらえないという孤立感を抱えることがある。

「逃げた」という言葉が持つ重さ

「逃げた」という表現には、責任を放棄したというニュアンスが含まれることが多い。やるべきことをやらずに、楽な方を選んだという評価である。相続の話し合いから距離を取った人がこの言葉を意識するとき、そこには強い否定的な響きがある。

実際には、距離を取ることが「逃げ」ではなく「選択」である場合もある。自分が参加しない方が話し合いがスムーズに進む、自分がいると対立が深まる、そうした判断のもとで距離を取ることもある。しかし、そうした意図は外からは見えにくく、結果だけが評価されることがある。

他の家族がどう思っているか分からない不安

「逃げた」と思われているかどうかは、確認しようがないことが多い。直接聞くこともできるが、その問いかけ自体が関係を複雑にすることもある。結果として、本人は想像の中で他の家族の評価を推測することになる。

この推測は、往々にして否定的な方向に傾きやすい。自分に対して批判的な見方をされているのではないかという不安は、実際の評価とは関係なく膨らんでいくことがある。何も言われていないからこそ、何を思われているか分からないという状態が続く。

自分自身を責める構造

「逃げた」と思われているのではないかという不安は、他の家族への意識だけでなく、自分自身への問いかけでもある。本当に距離を取る必要があったのか、もう少し頑張れたのではないか、そうした自問が繰り返されることがある。

他の人から責められる前に、自分で自分を責めているという状態になることもある。相続の話し合いに参加しなかったことへの罪悪感が、「逃げた」という自己評価につながっていく。

連絡が減ることで強まる不安

相続の話し合いから距離を取ると、他の家族との連絡も減ることがある。話し合いに参加していないため、進捗や決定事項が共有されにくくなる。そうした情報の断絶が、「自分は外されている」という感覚を強めることがある。

連絡が減ること自体は、忙しさや気まずさからくる自然な結果かもしれない。しかし、距離を取った本人から見ると、それは「もう関わらなくていいと思われている」「無視されている」と感じられることがある。

後から関わろうとする難しさ

一度距離を取ってしまうと、後から関わり直すことが難しくなることがある。話し合いが進んでいる途中で戻ろうとしても、すでに決まったことがあったり、他の人の間で共有されている文脈があったりする。

また、距離を取っていた人が急に参加すると、「今さら何だ」という反応が生まれることもある。こうした反応を恐れて、さらに距離を取り続けるという悪循環が生じることがある。

「逃げた」と思われたくないという圧力

「逃げた」と思われたくないという意識が、無理な参加につながることもある。本当は体調が悪かったり、精神的に限界だったりしても、「逃げたと言われたくない」という思いから話し合いに出席する人がいる。

この場合、参加したことで状況が良くなるとは限らない。無理をして参加した結果、体調を崩したり、感情的になってしまったりすることもある。「逃げた」と思われることへの恐れが、別の問題を生むことがある。

評価と事情のあいだにあるもの

相続の話し合いから距離を取ることが「逃げ」なのかどうかは、一概には言えない。外から見た評価と、本人が抱えている事情は、必ずしも一致しない。

「逃げた」と思われているのではないかという不安を抱える人がいるとき、その不安の中には、自分の選択を理解してほしいという願いが含まれていることがある。ただし、その願いが叶うかどうかは、相続の話し合いが終わった後も分からないまま残ることがある。


参考情報
法務省「相続に関する基本的な情報」