相続に関わる過程で、ある瞬間、ふと「もう関わりたくない」という気持ちが湧いてくることがある。それは、最初から抱いていた感情ではなく、何かをきっかけにして急に浮かび上がるものであることが多い。
その瞬間が訪れるタイミングは人によって異なる。話し合いの最中かもしれないし、書類を前にしているときかもしれない。あるいは、誰かとのやり取りの直後かもしれない。
何度目かの話し合いで感じる疲弊
最初の話し合いでは、まだ先が見えているような気がしている。しかし、二度、三度と話し合いを重ねるうちに、終わりが見えなくなる感覚が生まれることがある。
議題が毎回少しずつずれていく。前回決まったはずのことが、また振り出しに戻る。そうしたことが繰り返されると、「この先もずっとこうなのか」という感覚が静かに広がっていく。
自分の発言が届かないと感じる場面
話し合いの場で意見を述べても、それが受け止められていないように感じることがある。言葉は発しているのに、反応が返ってこない。あるいは、すぐに別の話題に移ってしまう。
そうした経験が積み重なると、「自分がここにいる意味があるのか」という問いが浮かんでくる。発言することへの意欲が薄れていく。
他の家族の態度に違和感を覚える瞬間
家族それぞれが、相続に対して異なる姿勢を持っていることがある。ある人は積極的に関わり、ある人は距離を置いている。その温度差が、話し合いの場で可視化されることがある。
自分だけが真剣に考えているように感じたとき、あるいは逆に、自分だけが取り残されているように感じたとき、関わり続けることへの疑問が生まれやすい。
過去の出来事が蘇る場面
相続の話し合いは、家族の歴史を振り返る作業を伴うことがある。誰が何をしてきたか、誰が何を負担してきたか。そうした話題が浮上すると、過去の記憶が呼び起こされる。
かつての不満や、言葉にしなかった感情が、相続という枠組みの中で再び表面化することがある。その瞬間、「もうこれ以上は無理だ」という感覚が生まれることがある。
手続きの複雑さに直面したとき
相続には、さまざまな手続きが伴う。書類を集め、記入し、提出する。その過程で、想像以上の手間がかかることに気づくことがある。
一つの手続きが終わっても、また次の手続きが待っている。そうした繰り返しの中で、「ここまでして続ける意味があるのか」という問いが浮かんでくることがある。
誰かに任せたくなる心理
関わりたくないという気持ちは、「誰かに任せたい」という気持ちと隣り合わせにある。自分が抜けても、他の誰かがやってくれるのではないか。そう思うことで、自分の負担を軽くしたくなる。
しかし、実際に誰かに任せることができるかどうかは、状況によって異なる。任せられる相手がいない場合、その気持ちは行き場を失う。
関わらないことへの罪悪感
関わりたくないと思いながらも、そこから離れることには抵抗がある場合がある。家族としての責任、あるいは周囲からの視線。そうしたものが、自分を引き留めようとする。
関わりたくないという気持ちと、関わるべきだという意識が、同時に存在することがある。その葛藤が、さらに疲弊を深めることになる。
物理的な距離がある場合
遠方に住んでいる場合、相続への関わり方は限られる。話し合いに参加するために移動が必要になり、日常生活との両立が難しくなることがある。
その距離が、関わりへのハードルを高くする。「行くのが大変だから」という理由が、次第に「行きたくない」という感情に変わっていくこともある。
情報が共有されていないと感じるとき
他の家族が持っている情報が、自分には伝わっていないと感じることがある。話し合いの場で初めて聞く事実があったり、自分だけが知らなかったことが判明したりする。
そうした情報格差は、疎外感を生む。自分は本当にこの相続に関わっているのか、という疑問が浮かんでくる。
結びに
関わりたくないという気持ちは、相続そのものへの否定ではなく、その過程で経験した何かへの反応であることが多い。その瞬間がいつ訪れるかは、外からは見えにくい。
参考情報
– 法務省:相続に関する手続きについて

