相続の話し合いが終わり、手続きも一段落した。財産の分け方は決まり、書類も整った。表面上は何も問題なく終わったように見える。それでも、その後の兄弟や親族との連絡が、以前とは違うものになっていくことがある。
電話の頻度が減る。LINEの返信が短くなる。会話の内容が天気や体調の確認だけになる。誰かが意図的に距離を置いているわけではない。ただ、何となく連絡しづらくなっている。
こうした変化は、相続がきっかけで関係が壊れたというより、相続を通じて何かが変わったことの表れかもしれない。
話し合いの記憶が残る
相続の話し合いでは、普段は口にしないことが言葉になることがある。金銭に関する考え方の違い、過去の不満、期待と現実のずれ。それらが表に出たとき、たとえ最終的に合意に至ったとしても、言葉の記憶は残る。
その記憶があるから、以前のように気軽に連絡を取ることに躊躇が生まれる。相手がどう思っているのかが気になる。自分が言ったことがどう受け止められたのかが気になる。そうした意識が、連絡の頻度を下げていく。
共通の話題がなくなる
親が存命の間は、親の健康状態や介護の分担、帰省の予定など、共通の話題があった。相続の間も、手続きの進捗や書類の確認といったやり取りが続いていた。
それが終わると、連絡を取る理由が急に見つからなくなることがある。用事がなければ連絡しない。連絡しなければ疎遠になる。そのサイクルが静かに始まっていく。
年賀状だけの関係になる
相続後、連絡が年賀状や暑中見舞いだけになる関係は少なくない。定型文に近い挨拶が行き交うだけで、近況を伝え合うこともなくなる。
それでも関係が切れているわけではない。年に一度のやり取りが続いている限り、つながりはある。ただ、そのつながりが以前と同じものかどうかは、当人たちにもわからない。
会う機会が減っていく
法事や親戚の集まりがあれば顔を合わせることはある。しかし、それ以外の機会に会うことはほとんどなくなる。以前は「今度一緒に食事でも」と言っていた関係が、そうした誘いを出さなくなる。
会えば話すことはある。険悪な空気があるわけでもない。それでも、わざわざ会おうとは思わなくなっている。その変化に明確な理由があるわけではないが、何かが変わったことは感じている。
相手の本音が見えた感覚
相続の話し合いを通じて、相手の考え方や価値観が見えることがある。金銭に対する姿勢、家族への責任の捉え方、公平さの基準。それらが自分の認識と異なっていたとき、「この人はこういう人だったのか」という感覚が生まれることがある。
その感覚は、必ずしも否定的なものとは限らない。ただ、以前のように無条件に信頼できる関係ではなくなったと感じることがある。信頼が失われたわけではないが、以前とは違う距離感が生まれている。
気を遣う関係になる
連絡を取るときに、以前よりも言葉を選ぶようになることがある。相手がどう受け取るかを気にして、当たり障りのない内容にとどめる。踏み込んだ話題は避ける。
そうした気遣いが続くと、連絡を取ること自体が負担に感じられることがある。負担を避けるために連絡を減らす。連絡が減れば、さらに何を話せばいいかわからなくなる。
修復の機会が見つからない
関係がぎくしゃくしていると感じていても、それを修復するきっかけが見つからないことがある。直接「あのときのことを話そう」と切り出すのは難しい。かといって、何事もなかったように振る舞うのも違和感がある。
そのまま時間が経ち、形式的なやり取りが「普通」になっていく。以前の関係に戻りたいと思っていても、戻り方がわからないまま現状が固定化されていく。
関係が変わったことを認めにくい
兄弟や親族との関係が変わったことを、認めたくない気持ちが働くことがある。「うちは問題なく終わった」「関係は変わっていない」と思いたい。そう思うことで、何かを守ろうとしている。
しかし、連絡の頻度や内容が変わっているという事実は、本人が一番よく知っている。認めたくないことと、感じていることとの間にずれがあるまま、日常が続いていく。
形式的でも続いている意味
連絡が形式的になったとしても、それでも続いているということには意味がある。完全に途絶えたわけではない。年賀状が届く限り、相手の存在は確認できる。
その形式的なつながりが、いつか別の形に変わることもあるかもしれない。変わらないまま続くこともあるかもしれない。どちらに転ぶかは、今の時点ではわからない。
参考情報

