親が亡くなった後、手元に残されたスマートフォンやパソコン。電源を入れれば、そこには検索履歴やブックマーク、閲覧していたウェブサイトの記録が残っている。それを見るべきなのか、見ないほうがいいのか、消してしまうべきなのか。
相続の手続きを進めるうえで、金融機関の情報やサブスクリプション契約の有無を調べる必要が出てくることがある。そのためにはネット履歴を確認することが手がかりになる場合もある。一方で、故人のプライベートな閲覧記録を家族が見ることへの抵抗感もある。
どちらが正しいという話ではない。ただ、このような場面で立ち止まる人は少なくない。
履歴を見ることへの躊躇
ネットの閲覧履歴には、故人が日常的に何を調べ、何に関心を持っていたかが記録されている。趣味の情報、健康に関する検索、ニュースサイトの閲覧。それらは生前の姿を映し出すものでもある。
家族がそれを見ることに、ためらいを覚えることがある。見てしまえば、知らなくてよかったことまで知ってしまうかもしれない。あるいは、本人が見られたくなかったものがあるかもしれない。そうした想像が、端末を開くことを躊躇させる。
見ないと進まない手続きもある
一方で、相続に必要な情報がネット上にしか残っていないケースもある。ネット銀行の口座、証券会社のログイン情報、契約中のサービス一覧。紙の書類が残っていなければ、端末の中を調べるほかに手段がないこともある。
履歴やブックマークを確認することで、どの金融機関と取引があったのかがわかることがある。メールの受信履歴と合わせて調べれば、月額課金のサービスを特定できることもある。
必要に迫られて見るのか、それとも見ずに済ませるのか。その判断は家族に委ねられる。
誰が見るかという問題
複数の家族がいる場合、誰が端末を開いて中身を確認するのかという問題が生じる。全員で一緒に見るのか、誰か一人が代表して見るのか、それとも誰も見ないまま処分するのか。
この判断を話し合うこと自体が難しいこともある。履歴を見ることに抵抗がない人と、見ること自体を避けたい人とでは、前提が異なる。どちらかの意見に合わせるにしても、合わせられなかった側には何かが残る。
見た後に残る感情
実際に履歴を確認した後、予想していなかった内容が出てくることがある。知らなかった趣味、検索していた病名、訪れていた場所の情報。それらを目にしたとき、どう受け止めるかは人によって異なる。
「知らなければよかった」と感じることもあれば、「知ることができてよかった」と思うこともある。どちらの感情が湧くかは、見てみるまでわからない。そして、一度見てしまえば、見る前の状態には戻れない。
消すタイミングが決められない
履歴を確認した後、それを消去するかどうかという判断も出てくる。相続の手続きが終われば消してもいいのか、それとも何かの記録として残しておくべきなのか。
明確な基準があるわけではない。「もう必要ない」と判断するタイミングは人によって異なる。消すことに踏み切れないまま、端末がそのまま保管され続けることもある。
端末を処分できないまま時間が経つ
故人のスマートフォンやパソコンを処分できないまま、数か月、あるいは数年が経過することがある。中身を確認していないから消せない、確認するのが気が重い、消してしまうと何かを失う気がする。
そうした理由が重なり、端末は引き出しの奥やクローゼットの中に置かれたままになる。処分すべきだと思いながらも、そのきっかけがつかめないまま時間だけが過ぎていく。
家族ごとに異なる境界線
どこまで見てよいのか、どこからは見るべきでないのか。その線引きは家族によって異なる。ある家庭では「必要な情報だけ確認すればいい」と割り切れるかもしれない。別の家庭では「本人のプライバシーは尊重すべき」という考えが優先されるかもしれない。
どちらの考えが正しいというわけではない。ただ、家族の間でその認識がずれていると、後から「なぜ見たのか」「なぜ見なかったのか」という問いが生まれることがある。
正解がないまま進む判断
ネット履歴をどう扱うかという問いには、明確な正解がない。見ることが正しいわけでも、見ないことが正しいわけでもない。消すことが正しいわけでも、残すことが正しいわけでもない。
それでも、何らかの判断を下す場面は訪れる。判断を先延ばしにすることも、ひとつの選択ではある。ただ、その選択もまた、後から振り返ったときに何かを感じさせることがある。
履歴が残す問い
故人のネット履歴は、単なるデータの集まりではない。それは、生きていた人が何を考え、何を調べ、何に興味を持っていたかの断片でもある。
その断片に触れることで、知らなかった一面を知ることもあれば、知っていたはずの姿が少し違って見えることもある。履歴をどう扱うかという問いは、故人との関係をどう捉え直すかという問いにつながっていく。
参考情報

