相続は数字の問題だと思っていた。財産がいくらあって、相続人が何人いて、法定相続分に従って分ければいい。計算すれば答えが出る。そう考えていた人が、話し合いの中で予想外の展開に直面することがある。
合理的に考えれば答えは一つのはずだ。しかし、話し合いは合理性だけでは進まない。そのギャップに戸惑う場面がある。
計算通りにいかない理由
法定相続分は法律で定められている。配偶者と子どもがいれば、配偶者が二分の一、子どもが残りを等分する。計算は明確だ。しかし、法定相続分は「目安」であり、実際の分割は相続人全員の合意で決める。
「法律ではこうなっている」と説明しても、納得しない人がいることがある。法律上の権利と、本人が感じる公平さは一致しないことがある。
数字に表れない貢献
財産の形成や維持に対する貢献は、数字には表れにくい。親の介護をしていた人、実家の管理をしていた人、事業を手伝っていた人。そうした貢献を「評価してほしい」という気持ちがある。
しかし、貢献をどう評価するかは曖昧だ。金銭換算できるものもあれば、できないものもある。「自分はこれだけやってきた」という主張が、数字の話と絡み合って複雑になる。
過去の経緯が浮上する
合理的に話を進めようとしていると、過去の経緯が浮上することがある。「あのとき、あなたは援助を受けた」「自分だけ進学費用を出してもらえなかった」といった話が出てくる。
それらは相続とは直接関係がないように見える。しかし、本人にとっては関係がある。過去の不公平を、今回の相続で清算したいという気持ちが働く。
感情を排除できない構造
「感情的にならずに話そう」と決めても、話し合いの中で感情が表れることがある。声のトーンが変わる、沈黙が長くなる、同じことを繰り返す。感情を意図的に排除することは難しい。
相続は家族の歴史と切り離せない。親との関係、兄弟との関係、これまでの出来事。それらすべてが、話し合いの場に持ち込まれる。
正解が一つではない状況
合理的に考えれば正解は一つだと思っていたが、実際には複数の「正解」がありうる。法定相続分通りに分けることも正解だし、特定の事情を考慮して調整することも正解になりうる。
どの正解を選ぶかは、相続人全員の合意による。その合意形成のプロセスが、合理性だけでは進まない。
論理で説得しようとする試み
合理的に考える人は、論理で相手を説得しようとすることがある。データを示し、法律を引用し、計算式を提示する。しかし、相手が納得するとは限らない。
「あなたの言っていることは分かる。でも、納得できない」という反応が返ってくることがある。論理的な正しさと、心理的な納得は別のものだ。
効率を求めることへの反発
「早く決めよう」「時間がもったいない」という姿勢が、反発を招くことがある。相手にとっては、時間をかけて話し合うこと自体に意味があるかもしれない。
効率を優先する態度が、「自分の都合で進めようとしている」と受け取られることがある。そうなると、話し合いはさらに長引く。
専門家の見解が通用しない場面
税理士や弁護士の見解を伝えても、それが受け入れられないことがある。「専門家はそう言うかもしれないが、うちの事情は違う」という反応がある。
専門家は法律や税務の観点から助言するが、家族の感情や歴史については関与しない。その隙間で、話し合いが行き詰まることがある。
合理性への信頼が揺らぐ瞬間
相続の話し合いを経験すると、合理性だけでは物事が進まないことを実感する。それまで信じていた「話せば分かる」「理屈が通れば納得する」という前提が揺らぐ。
人は合理的に行動するという仮定は、家族という関係においては成り立たないことがある。その気づきが、話し合いをさらに難しくすることもある。
合理性の限界を認めた後
合理性だけでは進まないと認めたとき、別のアプローチが必要になる。相手の話を聞く、感情を受け止める、過去の経緯を認める。時間がかかるが、それ以外の方法がない場合もある。
合理的に決められると思っていた誤解は、話し合いの中で修正されていく。その過程で何かを失うこともあれば、何かを得ることもある。
相続の場面では、合理性は道具の一つにすぎない。それだけで全てが解決するわけではない。
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