相続は誰かが主導してくれると思っていた家庭

相続と人間関係

家族の中で相続の話が出ないまま時間が経つとき、その背景に「誰かが動いてくれるだろう」という前提が共有されていることがある。それは明確に話し合われた前提ではなく、なんとなくそう思っていたという程度のものであることが多い。

全員が同じように「自分以外の誰かが」と思っていた場合、結果として誰も動かない状態が生まれる。それは怠慢や無関心の結果というよりも、家族の中にある暗黙の役割期待が噛み合わなかった結果であることが多い。

「長男がやるもの」という感覚

相続の手続きや話し合いの取りまとめは、長男が担うものだという感覚が残っている家庭がある。しかし、長男自身がその役割を引き受ける意思を持っているかどうかは別の話である。期待されていることに気づいていない場合もあるし、気づいていても引き受けられない事情がある場合もある。

「同居していた人が知っているはず」という推測

親と同居していた人は、財産の状況や生前の意向について詳しいだろうと思われがちである。しかし、同居していたからといって、預金口座の全容を把握しているとは限らない。保険の契約内容や不動産の名義について、親から正式に聞いていないこともある。同居の事実と情報の保有量は、必ずしも一致しない。

専門家が全部やってくれるという期待

弁護士や税理士に依頼すれば、相続の手続きは全て進むと思っている人もいる。しかし、専門家はあくまで依頼された範囲の業務を行う立場にある。家族間の話し合いの場を設けたり、連絡が途絶えている親族に声をかけたりすることは、通常は専門家の仕事には含まれない。

誰も「自分がやる」と言い出さない

主導する人が自然に決まるだろうという前提は、裏を返せば、誰も自分から手を挙げなくていいという構造を生んでいる。手を挙げることには負担が伴う。情報を集め、他の家族に連絡を取り、日程を調整する。その労力を引き受ける覚悟がないまま、誰かがやってくれるのを待つ時間が続く。

期待が向けられる側の戸惑い

「あなたがやると思っていた」と言われた側は、戸惑うことがある。自分がその役割を期待されていたことを知らなかった場合、なぜ自分なのかという疑問と、ここまで放置してしまったことへの責任感が同時に生まれる。期待は伝えられていなかったにもかかわらず、結果に対する責任を感じやすい位置に置かれる。

全員が受け身でいる期間の長さ

全員が誰かの動きを待っている状態は、外からは見えにくい。誰も不満を口にしていないし、対立も起きていない。しかし、その静けさの中で、手続きの期限が近づいていたり、不動産の管理が宙に浮いていたりすることがある。問題が発生していないように見える期間こそ、問題が静かに進行している期間でもある。

動き始めるきっかけが外部にしかない

自発的に動く人がいない場合、外部からの刺激がなければ状況は変わりにくい。固定資産税の通知が届いたとき、金融機関から書類の提出を求められたとき、あるいは他の親族から連絡があったとき。外部からの接触が、止まっていた時間を動かすきっかけになることがある。

「誰がやるか」が「誰がやるべきだったか」に変わる

時間が経過した後に話し合いが始まると、「これからどうするか」よりも「なぜ今まで誰も動かなかったのか」が話題になることがある。過去に向かう議論は、これからの進め方を決めることよりも感情的な負荷が大きい。本来は未来の話をする場が、過去の責任の所在を問う場になってしまうことがある。

主導する人が現れないことは誰のせいでもない

全員が「誰かが」と思っていた結果として、誰も動かなかった。そこに明確な加害者はいない。しかし、責任を引き受ける人もいない。この構造は、特定の誰かを責めることでは解消されない。家族の中で主導する人が自然に現れるという前提そのものが、検討されないまま共有されていたことに、後から気づく場面がある。


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