親が亡くなった後、相続の手続きに向き合おうとしたとき、家族の誰一人として全体像をつかんでいなかったという家庭がある。財産がどこにどれだけあるのか、どんな手続きが必要なのか、誰が何を知っているのか。それぞれが断片的な情報を持っているだけで、全体を見渡せる人がいない。
そうした状況は、事前に何も準備していなかったから起きるとは限らない。親がある程度の話をしていた場合でも、聞いていた内容が人によって異なっていたり、聞いた時期がずれていたりすることで、家族の中に「全体像」と呼べるものが存在しないまま相続が始まることがある。
誰かが全体を知っていると思っていた
家族の中で、「あの人なら全部知っているだろう」と思われている人がいることがある。親と同居していた兄弟、長男、あるいは親と仲が良かった人。しかし、実際に聞いてみると、その人も断片しか知らないということが起きる。
「全体を知っている人がいるはず」という前提は、誰もが自分の知らない部分を誰かが補っていると信じていることによって成り立っている。その前提が崩れたとき、全員が同時に足元の不安定さに気づくことになる。
親が話していた内容がそれぞれ違う
親が生前に相続に関する話をしていた場合でも、聞いていた相手によって内容が異なることがある。ある子には「家は残してほしい」と言い、別の子には「売って分ければいい」と話していた。矛盾しているように見えるが、親の中ではその時々の本音だったのかもしれない。
家族がそれぞれ「親の意向」として記憶している内容を持ち寄ったとき、ひとつの像が結ばれるのではなく、複数の像が並立することがある。どれが正しいかを判断する材料は、もう親本人には確認できない。
財産の全容が見えない
相続の話し合いを始めるには、まず財産の全容を把握する必要がある。しかし、これが簡単ではないことがある。親がどの銀行に口座を持っていたか、保険に加入していたか、不動産をどこに所有していたか。こうした情報が一箇所にまとまっていることは少ない。
通帳が見つかっても、それがすべてとは限らない。ネット銀行の口座があるかもしれないし、証券会社との取引があるかもしれない。探し始めて初めて、どこまで探せばいいのかがわからないという状態に直面する。
手続きの範囲が把握できていない
相続に伴う手続きは、金融機関への届け出だけではない。不動産の名義変更、保険金の請求、税務申告、各種契約の解約や名義変更。これらがどの順序で、どの期限までに、誰に対して行われるべきなのか。全体の見取り図を持っている家族は少ない。
ひとつの手続きを終えると、そこから次の手続きが見えてくるという連鎖がある。最初から全体を見通すことが難しい構造になっており、進めながら初めて「まだこれもあったのか」と気づくことが繰り返される。
それぞれが別の部分だけを見ている
家族のうち、ある人は銀行口座の手続きに詳しく、別の人は不動産の状況を調べている。もう一人は保険の書類を確認している。それぞれが自分の担当部分については把握しているが、全体としてどうなっているかを誰もつかめていないことがある。
分担すること自体は自然な流れだが、分担した結果として全体を俯瞰する人がいなくなるという逆説が生まれる。各自が「自分の担当は進んでいる」と思っていても、全体の進捗がどうなっているかは見えにくい。
知っていることと知らないことの境界が曖昧になる
相続の情報を集めていくうちに、「確かなこと」と「たぶんそうだろうと思っていること」の境界が曖昧になることがある。親から聞いた話なのか、自分がそう推測しているだけなのか。時間が経つにつれて、記憶と推測の区別がつきにくくなる。
家族の間で情報を共有する際にも、「聞いた話」と「推測」が混在したまま伝わることがある。受け取った側はそれを事実として記憶し、後に違っていたとわかって混乱するという場面が生まれやすい。
専門家に相談しても全体像が得られるとは限らない
税理士や司法書士に相談すれば、全体がわかると思うことがある。しかし、専門家が把握できるのは、それぞれの専門分野に関する部分に限られる。税理士は税務の観点から財産を整理し、司法書士は登記に必要な情報を確認する。それぞれの視点からは全体像の一部が見えるが、家族の関係性や感情的な背景までを含めた全体像は、専門家の守備範囲の外にある。
複数の専門家に相談した結果、かえって情報が分散するということも起きうる。誰がどの情報をどの専門家に伝えたのか、それぞれの専門家から受けた説明の整合性はとれているのか。管理すべき情報がさらに増えていく。
全体像がないまま話し合いが始まる
財産の全容が見えず、手続きの全体像も把握できず、家族それぞれが異なる情報を持っている。そうした状態のまま、話し合いが始まることがある。全員が揃っている場で、それぞれが自分の知っている部分を出し合うことで初めて、断片がつながり始める。
しかし、その場で出される情報にも抜けや偏りがある。話し合いを重ねるたびに新しい事実が出てきて、前回までの合意が揺らぐこともある。全体像が見えないまま進む話し合いは、着地点を見つけるまでに時間がかかりやすい。
全体像は最初から存在していなかったのかもしれない
振り返ってみると、相続の全体像を親自身が把握していたのかどうかもわからない、ということがある。親の頭の中にだけあった構想は、言語化されないまま失われている可能性がある。あるいは、親自身も自分の財産や契約のすべてを正確に記憶していたわけではないかもしれない。
「誰かが全体を知っているはず」という期待は、もともと存在しなかったものを探していたのかもしれない。全体像とは、最初からどこかにあるものではなく、家族が手探りで組み立てていくものだったという認識に至る家庭がある。
結び
全体像がないまま進む相続は、見通しの悪さそのものが状況を形づくっている。
参考情報

