相続は親世代の問題だと思っていた人の気づき

相続と人間関係

「自分の問題」ではなかった時期

相続という言葉を耳にしても、それが自分に関係するものだと感じない時期がある。親が元気で、日常の生活が安定しているあいだは、相続はどこか遠い話のように映る。テレビや雑誌で特集されていても、「うちにはあまり関係ない」と感じたまま通り過ぎることがある。

その感覚は、無関心というよりも、自然な距離感に近い。親がまだ現役で働いていたり、家族の間で財産の話題が出たことがなかったりすれば、相続を自分ごととして捉える機会そのものが存在しない。問題意識が生まれないのは、怠慢ではなく、きっかけがなかっただけともいえる。

「親が決めること」という前提

相続に関して漠然と持たれやすい前提のひとつに、「それは親の側が準備するもの」という認識がある。遺言を書くかどうか、財産をどうするか、誰に何を残すか。そうした判断の主体は、財産を持っている親の側にあるという感覚が、子どもの側に根づいていることがある。

この前提そのものが間違いだとは言い切れない。実際、遺言の作成や生前贈与の判断は、財産を持つ本人にしかできない行為でもある。ただ、相続が「発生した後」に動くのは、その子どもの世代である。準備する主体と、対応する主体がずれている構造が、ここに静かに存在している。

親の死後に初めて見える風景

親が亡くなった直後、子どもの側に見えてくるのは、悲しみだけではない。死亡届の提出、銀行口座の凍結、保険の手続き、不動産の名義確認。それまで「親が管理していたもの」が、突然、自分の手の中に移ってくる感覚がある。

その瞬間に、「相続は親の問題」だと思っていた前提が揺らぐ。親が生きているあいだは親のものだった財産が、死をきっかけに子の側の問題へと移行する。そのことを知識としては知っていても、実感として受け取るのは、手続きの最中であることが少なくない。

知識があっても実感がなかった理由

相続税の基礎控除、法定相続分、遺産分割協議。これらの単語を聞いたことがある人は少なくない。しかし、それを「自分の家に起こること」として想像したことがあるかどうかには、大きな隔たりがある。

知識と実感のあいだには距離がある。制度の仕組みを知っていることと、自分がその制度の中に立たされることとは、まったく異なる体験になる。親が元気なうちは、その距離を埋める動機がほとんど生まれない。結果として、知識はあっても準備がないという状態が生じやすくなる。

「うちには財産がないから」という思い込み

相続を自分の問題として捉えにくい要因のひとつに、「うちには大した財産がない」という認識がある。相続という言葉が、大きな資産や不動産を連想させるためか、一般的な家庭には関係が薄いと感じられることがある。

しかし、実際に相続が発生すると、実家の土地、少額の預金、保険金、車、さらには借入金など、思いのほか多くのものが「遺産」として浮上してくる。財産の多寡にかかわらず、名義変更や分割の手続きは発生する。金額の大小と手続きの有無は、必ずしも比例しない。

きょうだい間での温度差

親の相続が発生したとき、きょうだいの間で温度差が生まれることがある。実家の近くに住んでいた子と、遠方で暮らしていた子とでは、親の生活や財産に対する情報量が異なる。情報量の差は、そのまま当事者意識の差として現れやすい。

「自分は相続に関係ない」と思っていたきょうだいが、突然、遺産分割協議の当事者として呼び出される。一方で、親の介護や日常の世話をしていた側は、すでに相続を自分ごととして感じている場合がある。この温度差は、どちらが正しいという問題ではなく、それぞれが置かれていた位置の違いから生まれている。

「話し合い」の場に立たされる感覚

遺産分割協議という言葉には、どこか冷静で制度的な響きがある。しかし、実際にその場に立たされたとき、感じるのは制度的な緊張ではなく、家族のあいだに漂う微妙な空気であることがある。

「親世代の問題」だと思っていた人にとって、この場は想定外の空間になりやすい。何を話せばいいのか、自分にどんな権利があるのか、主張することが適切なのか。判断の基準が手元にない状態で、決定を求められる場面が訪れる。準備をしてこなかったことへの後悔というよりも、「そもそも準備するという発想がなかった」という感覚に近い。

手続きの中で気づく「自分の立場」

相続の手続きを進める中で、自分が法律上どのような立場にあるかを初めて知る人がいる。法定相続人としての権利、相続放棄の期限、遺留分の存在。それらは、相続が発生して初めて具体的な意味を持ち始める。

「親の問題」だと思っていたことが、法律上は「自分の問題」でもあったという発見は、手続きの過程で静かに訪れる。誰かに教えられるのではなく、書類を読み、窓口で説明を受ける中で、少しずつ輪郭が見えてくる。その過程には、驚きとも戸惑いともつかない感覚がにじむことがある。

「もっと早く知っていれば」の意味

手続きが進むにつれて、「もっと早く知っていれば」という言葉が浮かぶことがある。ただ、この言葉が指しているのは、法律の知識や制度の情報だけとは限らない。親がどのような財産を持っていたか、どんな契約を結んでいたか、どういう意向を持っていたか。そうした、制度以前の「家族の中の情報」が不足していたことへの気づきでもある。

早く知っていたとしても、状況がすべて好転するとは限らない。しかし、知らなかったことで生じる戸惑いや後手の対応は、手続きのあちこちで表面化しやすい。知識の不足というよりも、関心を向けるタイミングがなかったという構造が、そこには横たわっている。

前提が変わる瞬間は選べない

相続が「親世代の問題」から「自分の問題」へと切り替わる瞬間は、当事者が選べるものではない。それは親の死という出来事によって、一方的に訪れる。準備ができていたかどうかにかかわらず、その瞬間から手続きの時計は動き始める。

前提が変わるタイミングを自分で決められないという構造は、相続に限った話ではないかもしれない。ただ、相続の場合、その切り替わりが法的な期限や金銭的な判断と直結しているために、前提のズレが実務上の負荷として現れやすい。「自分には関係ない」という認識が長く続くほど、切り替わりの落差は大きくなる傾向がある。

結び

「親世代の問題」という前提は、ある時期までは自然な距離感として機能している。その前提が崩れる瞬間に何が見えるかは、それまでの距離の取り方によって少しずつ異なっている。


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