相続は時間があると思い込んでいた家庭
「相続の話は、いつかしなければならない」。そう思いながら、具体的な日程は決まらないまま時間が過ぎていく家庭がある。
親はまだ元気だから。今は忙しいから。きっかけがないから。そうした理由で、相続の話題は先送りにされる。「時間はある」という感覚が、その背景にある。
しかし、時間があると思っていた期間は、気づいたときには過ぎている。親の体調が急に変わる。認知機能が低下する。あるいは、突然の死。「もっと早く話しておけばよかった」という言葉が出るのは、そうした瞬間である。
「いつかやる」が続いていく構造
相続の話をしなければならない、という認識はある。テレビや雑誌で相続トラブルの話を見れば、「うちも考えておかないと」と思う。しかし、その「考えておかないと」が具体的な行動につながるかどうかは別の話である。
「いつかやる」という言葉は、行動を起こさないことを正当化する機能を持っている。今すぐやらなくても、いつかやるのだから問題ない。そう思っているうちに、「いつか」は来ないまま時間が過ぎていく。
この構造は、相続に限った話ではない。ただ、相続の場合、その「いつか」が来たときには、すでに状況が変わっていることがある。
親が元気なうちは現実感がない
親が元気に暮らしている間、相続は遠い話に感じられる。相続とは、親が亡くなった後の話である。元気な親を見ていると、その「後」を想像することが難しい。
親の死を前提にした話をすること自体に、抵抗を感じる人もいる。縁起でもない、と思う。親に失礼だ、と感じる。そうした感情が、話題を遠ざける。
元気な親を見ながら「相続の話をしましょう」とは言いにくい。その言いにくさが、先送りの一因になっている。
忙しさが理由になりやすい
仕事、子育て、日常の雑事。大人になってからの生活は、さまざまな用事で埋まっている。その中で、「相続について話し合う」という予定を入れることは、優先順位が低くなりがちである。
緊急ではないからである。今日話さなくても、明日困ることはない。来月でも、来年でも、たぶん大丈夫。そう思えてしまう。
忙しさは、行動しないことの理由として使いやすい。「時間ができたら」と言いながら、時間ができることはなかなかない。
きっかけを待ち続ける心理
「何かきっかけがあれば話せるのに」と思うことがある。親が自分から切り出してくれれば。兄弟の誰かが言い出してくれれば。何か自然な流れで話題になれば。
きっかけを待つことで、自分から動く必要がなくなる。話を切り出す気まずさを避けられる。しかし、待っていたきっかけは、なかなか訪れない。
あるいは、きっかけになりそうな出来事があっても、それを活かせないことがある。親戚の相続トラブルを聞いても、「うちは大丈夫」と思ってしまう。親の入院があっても、「まずは回復を」と話を先送りにする。
期限がないように見える錯覚
相続の話し合いには、明確な期限がないように見える。締め切りがなければ、人は動きにくい。「いつまでに」という制約がないと、「今でなくてもいい」という判断になりやすい。
実際には、さまざまな期限が存在する。相続放棄は3か月以内。相続税の申告は10か月以内。しかし、これらは親が亡くなった後に発生する期限であり、生前の話し合いには直接関係しない。
生前の準備に期限がないからこそ、いつまでも先送りにできてしまう。そして、期限が発生したときには、準備なしで対応することになる。
体調の変化という転機
親の体調が変化したとき、相続の話題が急に現実味を帯びることがある。入院、手術、介護の開始。そうした出来事をきっかけに、「そろそろ話しておかないと」という気持ちが強くなる。
しかし、体調が悪化した状況で相続の話をすることには、また別の難しさがある。親の気持ちを考えると言い出しにくい。病気の話と財産の話を重ねることへの躊躇がある。
「元気なうちに話しておけばよかった」と思うのは、この段階である。元気だった頃には「まだ早い」と感じ、体調が変わってからは「もう遅い」と感じる。その間のどこかに、適切なタイミングがあったはずだが、それがいつだったのかはわからない。
話せなくなってから気づくこと
認知症の進行、意識の低下、突然の死。親と話し合う機会そのものが失われることがある。
親の意向を確認できないまま、相続を進めることになる。「お父さんは何と言っていたか」「お母さんはどうしたかったのか」。そうした問いに対する答えは、もう得られない。
親がいなくなってから、「聞いておけばよかったこと」がたくさんあることに気づく。財産の所在、保険の内容、誰に何を渡したかったのか。聞く機会はあったはずなのに、聞かないまま過ぎてしまった。
時間があったはずなのにという後悔
振り返ってみると、話し合う時間はあったように思える。あの正月、あのお盆、あの連休。家族が集まる機会は何度かあった。そのどれかで話を切り出していれば、状況は違っていたかもしれない。
「時間があった」という認識は、後からだからこそ持てるものでもある。その時点では、時間があるかどうかはわからなかった。わからなかったからこそ、「まだ大丈夫」と思えた。
後悔しても時間は戻らない。ただ、「時間がある」という感覚が、実際にはどれほど頼りないものだったかを、後から知ることになる。
結び
時間があると思っている間は、時間の貴重さに気づきにくい。相続の話をする機会は、無限にあるように感じられる。
しかし、その機会は、気づかないうちに減っていく。親の健康、家族の状況、自分自身の生活。さまざまな要因が、話し合いの可能性を狭めていく。
「時間がある」という感覚は、安心をもたらす一方で、行動を先送りにさせる力も持っている。
