デジタルの話題が感情的になりやすい理由

相続と人間関係

デジタルの話題が感情的になりやすい理由

相続の話し合いの中で、デジタル関連の話題が出たとき、場の空気が変わることがある。スマートフォンの中身、SNSのアカウント、パスワードの管理。そういった話題になると、なぜか感情的なやり取りが生まれやすい。

デジタルの問題は、単なる技術的な課題ではない。そこには、見えにくい感情の層がいくつも重なっている。

「見てはいけないもの」という感覚

故人のスマートフォンやパソコンには、その人のプライベートな情報が詰まっている。メール、写真、検索履歴、メッセージのやり取り。それらを見ることに、どこか後ろめたさを感じる人がいる。

相続の手続き上、確認が必要な場面があっても、「見てはいけないものを見ている」という感覚がつきまとう。その感覚が、話し合いの場でぎこちなさや緊張を生むことがある。

世代間の理解の差

デジタルに関する理解度は、世代によって大きく異なることがある。日常的にスマートフォンを使いこなす人と、必要最低限の機能しか使わない人。その差が、話し合いの場で顕在化する。

「なぜそんなことが分からないのか」「なぜそんなに急ぐのか」。理解の差が、苛立ちや不満に変わることがある。技術的な問題のはずが、いつの間にか人間関係の問題にすり替わっていく。

担当の押し付け合い

デジタル関連の作業は、「詳しい人がやればいい」という空気になりやすい。若い世代、ITに詳しそうな人、そういった人に負担が集中することがある。

押し付けられた側は不満を感じ、押し付けた側は「自分には分からないから」と距離を置く。その構図が、話し合いの中で緊張を生む。誰がやるべきかという議論が、デジタルの話題を感情的にさせる一因になっている。

故人の痕跡に触れることへの躊躇

デジタルデータには、故人の生きた痕跡が残っている。最後に送ったメッセージ、撮った写真、見ていたウェブサイト。それらに触れることは、故人の私的な領域に踏み込むことでもある。

その躊躇いが、話し合いの場で表現されにくい。「早く整理しよう」という意見と、「まだ触りたくない」という気持ち。言葉にならない感情が、ぶつかり合うことがある。

分からないことへの苛立ち

パスワードが分からない、ログインできない、何のサービスを使っていたか分からない。デジタル関連では、分からないことが次々と出てくることがある。

分からないことが続くと、苛立ちが生まれる。その苛立ちの矛先が、故人に向かうこともあれば、他の家族に向かうこともある。「なぜちゃんと記録しておかなかったのか」「なぜ誰も把握していないのか」。そういった言葉が、話し合いの場で飛び交うことがある。

価値の測りにくさ

デジタル資産の価値は、測りにくい。ポイント、電子マネー、暗号資産。それらがどれだけあるのか、そもそも価値があるのかどうか、判断が難しいことがある。

価値が測れないものを、どう扱えばいいのか分からない。分からないまま話し合いを進めると、後から「あれはどうなった」という疑問が出てくる。その曖昧さが、話し合いを不安定にさせる。

誰も正解を知らない不安

デジタル相続は、比較的新しい問題でもある。何が正しいやり方なのか、専門家でも判断が分かれることがある。前例が少なく、参考にできる情報も限られている。

誰も正解を知らない状況で、家族だけで判断を求められる。その不安が、話し合いの場で防衛的な態度を生むことがある。間違った判断をしたくない、責任を負いたくない。そういった気持ちが、感情的なやり取りにつながっていく。

放置することへの罪悪感

デジタル関連の整理は、後回しにしやすい。急ぎの手続きではないことも多く、「いつかやろう」と思っているうちに時間が過ぎていく。

放置していることへの罪悪感が、話題に触れたときに表面化することがある。「まだやっていないのか」「なぜ進めないのか」。責める言葉が出なくても、自分自身の中で罪悪感が膨らんでいく。その感情が、話し合いの場で表に出ることがある。

デジタルが象徴するもの

デジタルの話題が感情的になりやすいのは、それが単なる技術的な問題ではないからかもしれない。故人との関係、世代間の溝、役割分担への不満。デジタルという話題を通じて、それらが一気に表面化することがある。

デジタルは、相続における新しい問題であると同時に、家族の中にある古い問題を映し出す鏡のような役割を果たしていることがある。

結びに

デジタルの話題が感情的になる背景には、さまざまな要因が重なっている。プライバシーへの配慮、世代間の理解差、負担の偏り、故人への複雑な感情。それらが混ざり合って、思いがけない感情の高まりを生むことがある。

技術的な問題として扱おうとしても、感情が入り込む余地は残っている。その構造を知っておくことが、何かの助けになるかどうかは分からない。ただ、そういうことが起きやすいという観察は、多くの場面で共通しているように見える。


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