相続の話を後回しにしても問題ないと思っていたケース
相続の話は、いつかしなければならない。頭ではそう分かっている。しかし、今すぐである必要はないと思っている家庭がある。
「まだ親は元気だから」「葬儀が終わったばかりだから」「落ち着いてから話せばいい」。そうした理由で、話し合いは先延ばしにされる。
後回しにしても問題ない。そう思っていた。しかし、後になってみると、その判断がどう作用したかが見えてくることがある。
後回しにする理由
相続の話を後回しにする理由は、家庭によってさまざま。
親がまだ元気で、死の話をするのがためらわれる。葬儀の直後で、まだ気持ちの整理がついていない。兄弟の予定が合わず、集まる機会がない。今は仕事が忙しくて、落ち着いてから考えたい。
どれも、その場では合理的に思える理由。後回しにすること自体が悪いわけではない。ただ、その判断がどこまで検討されたものかは、人によって違う。
「問題ない」と思えた背景
後回しにしても問題ないと思えるのは、いくつかの前提があるから。
うちは揉めるような家ではない。財産といってもそれほど多くない。兄弟仲は悪くない。いざとなれば話し合いで決められる。
こうした前提が、後回しを正当化する。問題が起きていないのだから、今すぐ動く理由がない。そう考えること自体は、自然な流れ。
期限が曖昧なまま過ぎる時間
相続の話を「いつかする」と決めたまま、時間が過ぎていく。「いつか」には期限がない。
一週間が過ぎ、一か月が過ぎ、半年が過ぎる。その間、誰かが話を切り出すわけでもなく、具体的な予定が立つわけでもない。ただ、時間だけが流れていく。
期限がないから、焦りも生まれない。焦りがないから、動かない。動かないから、そのまま。
状況が変わってから気づくこと
後回しにしている間に、状況が変わることがある。
親の認知機能が低下して、意思確認ができなくなった。不動産の評価額が変わって、想定と違う金額になった。相続人の一人が急に亡くなった。
そうした変化が起きたとき、「もっと早く話しておけばよかった」という感覚が浮かぶ。後回しにしていたことが、ここで影響してくる。
後回しにしている間に起きやすいこと
後回しにしている間、表面上は何も起きていないように見える。しかし、水面下では少しずつ変化が進んでいることがある。
兄弟それぞれが、頭の中で「こうなるだろう」という想定を持ち始める。その想定は共有されていないから、人によって違う。時間が経つほど、それぞれの想定は固まっていく。
いざ話し合いを始めたとき、その想定のずれが表面化する。「そんなつもりじゃなかった」という言葉が飛び交うことになる。
切り出すタイミングがさらに遠のく構造
後回しにすればするほど、話を切り出すハードルは上がっていく。
「もうずいぶん経ったのに、今さら」という感覚が生まれる。切り出した方が悪者に見えるかもしれない。「なぜ今なのか」と問われたときに、答えにくい。
最初は「今じゃなくてもいい」だったのが、いつの間にか「今さら言い出しにくい」に変わっている。後回しが、さらなる後回しを生む構造。
問題がないように見えることの意味
後回しにしても問題が起きなかった、というケースもある。結果的に、相続はスムーズに進み、揉めることもなく終わった。
その場合、後回しにしたことは正解だったのか。それとも、たまたま運が良かっただけなのか。それは分からない。
問題が起きなかったのは、後回しにしたからではなく、他の条件が整っていたからかもしれない。しかし、「問題なかった」という結果だけが記憶に残る。
後回しにしたことを振り返る場面
相続が終わった後、ふと振り返ることがある。「あのとき、もっと早く話していたらどうなっていただろう」と。
結果が変わっていたかどうかは分からない。ただ、プロセスは違っていたかもしれない。もう少し余裕を持って話し合えたかもしれない。もう少し情報を集められたかもしれない。
後回しにしたことが間違いだったとは限らない。しかし、振り返ったとき、何かが引っかかることはある。
結び
相続の話を後回しにすることは、珍しいことではない。むしろ、多くの家庭で起きていること。
後回しにしても問題ないと思っていた。そう思えるだけの理由があった。しかし、その判断がどう作用するかは、終わってみないと分からない。
後回しにしたことを後悔するかどうかは、結果によって変わる。しかし、結果が出る前に判断を変えることは、難しい。

