相続の手続きが終わり、財産の分け方も決まった。話し合いの場も設けられなくなり、相続に関する連絡も途絶えた。終わったのだから、それでいいはずだった。
しかし、話題が出なくなったことで、かえって何かが気になり始めることがある。本当にあれで終わりだったのか。全員が納得していたのか。言い残したことはなかったか。そうした問いが、ふとした瞬間に浮かんでくる。
終わったはずのことが、終わった気がしない。その感覚の正体をつかめないまま、日常だけが続いていく。
話題が消えることの唐突さ
相続の間は、頻繁に連絡が交わされていた。書類の確認、日程の調整、進捗の共有。やり取りが続いている間は、相続が「今、進行中のこと」として意識の中にあった。
それが急になくなると、ぽっかりと空白ができたような感覚になることがある。昨日まで毎日のように話していたことが、今日から一切話題に上らない。その切り替わりの速さに、心がついていかないことがある。
言わなかったことが残る
話し合いの中で、言おうとして言わなかったことがある人もいる。場の空気を読んで発言を控えた、反論しても仕方ないと思って黙った、感情的になりそうだったから口を閉じた。
話題が終わった後、そうした「言わなかったこと」が頭の中に残り続けることがある。言えばよかったのか、言わなくて正解だったのか。その判断がつかないまま、もやもやとした感覚だけが残る。
他の人がどう思っているかわからない
相続の話題が出なくなると、他の家族が今どう感じているのかを知る機会もなくなる。話し合いの結果に満足しているのか、不満を抱えているのか。直接聞くこともできず、推測するしかない。
その不確かさが、違和感の一因になることがある。全員が納得しているなら問題はない。しかし、誰かが何かを抱えているとしたら、それはいつか別の形で表に出てくるかもしれない。その可能性が、心のどこかに引っかかっている。
終わりの合図がなかった
相続には、明確な「終わり」の合図がないことが多い。書類の手続きが完了しても、「これで終わりです」と宣言されるわけではない。気づいたら話題が出なくなっていた、という形で終わっていく。
そのため、「本当に終わったのか」という確信が持てないことがある。まだ何か残っているのではないか、後から問題が出てくるのではないか。そうした不安が、違和感として残り続ける。
日常に戻ることへの戸惑い
相続の間は、普段とは違う緊張感の中で過ごしていた。話し合いの場では気を遣い、書類の確認では神経を使い、他の家族との関係にも意識を向けていた。
それが終わり、日常に戻る。しかし、すぐには切り替えられないこともある。相続のことを考えなくてよくなったはずなのに、ふとした瞬間に思い出す。その思い出し方が、自分でもコントロールできない。
何かが変わった感覚
相続の前と後で、家族との関係が変わったように感じることがある。話し合いの中で見えた一面、交わされた言葉、取られた態度。それらが記憶に残り、以前と同じようには見られなくなっている。
話題が出なくなっても、その「変わった感覚」は消えない。相続という出来事を通じて、何かが決定的に変わってしまったのではないか。そう感じることが、違和感の根底にあるのかもしれない。
蒸し返すこともできない
違和感があるとしても、終わった話を蒸し返すことには抵抗がある。せっかく収まったものをまた掘り起こすのか。他の家族に「まだそんなことを言っているのか」と思われるかもしれない。
その結果、違和感を抱えたまま黙っていることを選ぶ。黙っていれば、表面上は何も問題がない。ただ、抱えているものが消えるわけではない。
時間が解決するのか
「時間が経てば気にならなくなる」と思うこともある。実際に、日常の忙しさの中で相続のことを考える頻度は減っていく。しかし、完全に消えるかどうかはわからない。
数年後、何かのきっかけで当時のことを思い出すこともある。そのとき、違和感がまだ残っていることに気づくこともある。時間が解決するとは限らない。
違和感を持つこと自体への戸惑い
相続が無事に終わったのに、なぜ自分は違和感を覚えているのか。その疑問が、さらに戸惑いを生むことがある。感じる必要のないことを感じているのではないか。考えすぎなのではないか。
しかし、感じていることは事実として存在する。その感情を否定しても、消えるわけではない。違和感を持つ自分を受け入れることと、その正体を理解することは、別の問題として残り続ける。
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