相続の話し合いが毎回長引く家庭

相続と人間関係

相続の話し合いが毎回長引く家庭

相続について話し合おうと集まったはずなのに、気づけば数時間が過ぎている。何度目かの話し合いでも、同じようなことが繰り返される。終わりが見えないまま、また次回に持ち越される。

長引くこと自体が悪いわけではない。ただ、毎回同じように長引くとき、そこには何かしらの構造が存在していることがある。それが何なのかを、外から眺めてみる。

話し合いの「終わり」が定義されていない

相続の話し合いには、明確なゴールがあるようで、実はないことがある。「遺産分割を決める」という大きな目的はあっても、「今日は何を決めるか」が定まっていないまま始まることがある。

そうなると、話し合いがどこまで進めば終わりなのかが誰にも分からない。ひとつの話題が終わっても、次の話題が出てきて、さらにその次も出てくる。終点がないまま歩き続けるような時間が流れていく。

議題が曖昧なまま始まる

「今日は実家のことを話そう」という程度の共通認識で始まることがある。実家の「何」を話すのか、売却の話なのか、誰が住むかの話なのか、そもそも今後どうするかの話なのか。

議題が曖昧なまま始まると、各自が違うことを考えながら発言することになる。話がかみ合わないまま時間だけが過ぎていき、最終的に「また今度ちゃんと話そう」という結論に落ち着くことになる。

発言の順番が固定されていない

会議のように司会がいるわけではない。誰が先に話すか、誰の意見をまず聞くか、そういったことが決まっていないまま話し合いが進む。

結果として、声の大きい人が多く話し、静かな人は黙ったまま時間が過ぎる。あるいは、誰も口を開かない沈黙の時間が何度も訪れる。その沈黙を誰かが埋めようとして、また別の話題が始まる。

過去の話が混入しやすい

相続の話をしているはずが、いつの間にか昔の話になっていることがある。「あのとき誰が親の面倒を見たか」「昔から誰がどれだけ援助を受けていたか」といった話題が、現在の分割の議論に混ざり込む。

過去の話は終わりがない。事実の確認も難しく、記憶も人によって違う。そこに入り込むと、本来の議題に戻るのに時間がかかる。あるいは、戻れないまま終わることもある。

沈黙が結論に見えない

話し合いの中で沈黙が訪れたとき、それが「合意」なのか「保留」なのか「反対」なのかが分からないことがある。誰も反論しないから決まったのか、誰も賛成していないから決まっていないのか。

沈黙を確認する手段がないまま話し合いが進むと、後から「あのとき決まったはずだ」「いや、決まっていない」という食い違いが生まれる。その食い違いを解消するために、また話し合いが必要になる。

「決める」ことへの抵抗感

何かを決めるということは、他の選択肢を捨てるということでもある。相続においては、その「決める」という行為自体に抵抗感を持つ人がいることがある。

決めてしまうと後戻りできない。決めてしまうと誰かが損をするかもしれない。決めてしまうと関係が変わるかもしれない。そういった漠然とした不安が、決定を先延ばしにさせる。先延ばしにした分だけ、話し合いは長引く。

誰かが切り上げる役を担えない

「今日はこのあたりで」と言い出す人がいないことがある。言い出すと、話し合いに消極的だと思われるかもしれない。あるいは、自分だけ逃げようとしていると思われるかもしれない。

切り上げる役を誰も担わないまま、全員が疲れるまで話し合いが続くことがある。疲れ果てた頃に「また今度」となり、次回もまた同じことが繰り返される。

疲労が蓄積していく

毎回長引く話し合いは、参加者の疲労を蓄積させていく。話し合いの前から憂鬱になり、話し合いの後は消耗している。その疲労が、次の話し合いへの意欲を削いでいく。

疲労が蓄積すると、話し合い自体を避けたくなる。避けると問題は解決しない。解決しないからまた話し合いが必要になる。その循環の中で、疲労だけが増えていく。

長引くこと自体が習慣になる

何度か長引く話し合いを経験すると、それが当たり前になっていくことがある。「うちの話し合いはいつもこうだから」という諦めに近い認識が共有されていく。

習慣になると、改善しようという発想自体が生まれにくくなる。長引くことを前提にスケジュールを組み、長引くことを前提に心構えをする。その構造の中では、話し合いが効率的になる余地が少なくなっていく。

結びに

話し合いが長引くことには、さまざまな要因が絡み合っている。議題の曖昧さ、過去との混在、決定への抵抗感、役割の不在。それらが重なり合って、終わりの見えない時間が生まれている。

長引くこと自体を責めても、状況は変わらない。ただ、何が話し合いを長引かせているのかを眺めてみることで、見えてくる構造がある。その構造は、どの家庭にもそれぞれの形で存在している。


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