始まる前に決めたこと
話し合いが始まる前に、自分に言い聞かせたことがある。これは財産をどう分けるかを決めるだけのことだ。感情を持ち込まなければ、すぐに終わる。
父が亡くなったのは秋で、四十九日を過ぎた頃に最初の話し合いが設定された。兄が「一度集まろう」と言い、姉が日程を調整した。自分は言われた日に行くだけだった。
妻に「大丈夫?」と聞かれた。大丈夫だと思う、と答えた。事実の整理をするだけだから。そう言ったとき、本当にそう思っていた。相続とは書類と数字の問題であって、気持ちの問題ではない。そう信じていた。
最初の二回は平気だった
一回目の話し合いでは、財産の全体像を確認した。預金がいくらあって、不動産がどうなっていて、保険はどうか。兄が事前に調べた資料を見ながら進んだ。淡々としていた。数字の確認に、感情が入る隙間はなかった。
二回目も、手続きの流れと役割分担を話した。誰がどの書類を取りに行くか。自分は遠方に住んでいるから、署名や書類の郵送を引き受けた。それだけのことだった。
帰り道に妻から「どうだった?」と聞かれて、「全然大丈夫」と返した。嘘ではなかった。そのときは本当にそう思っていた。自分にはこういうことを冷静に処理できる力がある。そう思えたことが、少しだけ心地よかった。このまま淡々と終わるものだと信じていた。
実家の話になった日
三回目の話し合いで、実家をどうするかという議題になった。
兄が「売却の方向で考えたい」と言った。姉が「もう少し待てないか」と返した。自分は黙って聞いていた。
姉が「お母さんの部屋、まだそのままなんだよ」と言ったとき、声がわずかに揺れた。兄は「いつまでも置いておけるものじゃない」と答えた。内容としては正しい。誰も住まない家を維持するのは負担だ。でも、言い方だった。結論を急ぐような、相手の気持ちを待たないような調子が、そこにあった。
姉が「なんでそういう言い方するの」と返した。兄は「事実を言ってるだけだ」と言った。その瞬間、部屋の空気が変わった。テーブルの上に広げられた書類が、急によそよそしく見えた。自分の中で、何かが動いた。
引っかかったもの
兄はいつもそうだった。結論を先に出して、そこに向けて話を進める。合理的だと本人は思っている。間違ってはいない。でも、周りがどう感じるかは、あまり視野に入っていない。
子どもの頃からそうだった。家族で何かを決めるとき、兄が最初に意見を言い、それがそのまま通ることが多かった。父もそういうところがあった。
今の話し合いとは関係のないはずのことだった。過去の記憶を持ち込んではいけない。そう思った。でも、胸の奥に小さなざわつきがあった。
姉の顔を見た。少し赤くなっていた。同じことを感じているのかもしれないと思った。でも確認はしなかった。ここで「自分もそう思う」と言えば、姉の側に立つことになる。兄と対立する構図ができる。それは避けたかった。だから黙っていた。黙っていること自体が、すでに感情の処理だった。冷静でいようとしているのではなく、冷静でいなければいけないと自分を押さえ込んでいた。
帰り道の重さ
話し合いは中途半端に終わった。実家のことは次回に持ち越しになった。
帰りの電車の中で、ぼんやりしていた。妻から「どうだった?」とメッセージが来たが、すぐには返せなかった。何と打てばいいのか分からなかった。
疲れていた。でも、何に疲れているのかが自分でもはっきりしなかった。話し合いの内容はそこまで複雑ではなかったし、時間も長くはなかった。
帰宅して、妻に「疲れてる顔してるよ」と言われた。「ちょっとね」と答えた。
あの話し合いで消耗したのは、議題の中身ではなかった。自分の中に湧き上がってきたものを、その場で押さえ込もうとしたことに疲れていた。感情を切り離すというのは、感じないことではなく、感じたものを無視し続けることだった。そのことに、帰り道でようやく気がついた。
次の日程が決まるまで
次の話し合いの日程が決まったとき、少し身構えている自分がいた。
前回のことを引きずっているのは分かっていた。でも、何をどう引きずっているのかが言葉にならなかった。兄に対する不満なのか、姉への共感なのか、冷静でいられなかった自分への苛立ちなのか。
前夜、なかなか寝つけなかった。明日のことを考えていたのか、過去のことを考えていたのか、途中からその区別もつかなくなった。
妻が「行きたくなかったら、休んでもいいんじゃない」と言った。そうしたい気持ちはあった。でも、ここで休んだら次も休むことになる気がした。一度抜けたら、戻れなくなるかもしれない。
朝、駅に向かう足が重かった。電車の中で、前回の話し合いの場面が何度も浮かんでは消えた。到着すると、兄はもう来ていた。「よう」と言われて「うん」と返した。その短いやりとりに、前回のことは何も含まれていなかった。兄は気にしていないのか、気にしていないふりをしているのか。分からなかった。
どこから入り込んだのか
振り返ると、感情が入り込んだのは一瞬のことだった。姉の声が揺れて、兄がそれを受け止めなかった、あの数秒間。
あの場面がなかったら、自分は今も冷静でいられたかもしれない。あるいは、あの場面がなくても、別のどこかで同じことが起きていたかもしれない。
相続の話し合いには、家族の歴史が全部乗っている。数字だけを見ようとしても、その数字の裏には人がいて、暮らしがあり、記憶がある。切り離せると思っていたのは、自分の見通しが甘かっただけなのかもしれない。
財産の話をしているようで、家族の話をしていた。数字を並べていても、その奥にあるのは長い時間の蓄積だった。
以前の場所には戻れない
四回目の話し合いに出た。実家のことは半年ほど保留になった。
話し合い自体は穏やかだった。でも、自分の中では何かが変わっていた。兄の発言を聞くとき、内容だけでなく言い方に注意が向いている。姉の表情を見るとき、その裏にあるものを読もうとしている。
冷静に進めるつもりだった頃の自分は、もういなかった。感情を持ち込まないと決めたあの日の自分が、遠くに感じる。
帰り道、電車の窓に映った自分の顔がどこか険しく見えた。話し合いの場では何も言わなかった。でも、言わなかったことが蓄積している感覚がある。それを次にどう扱えばいいのか、見当がつかない。
次の話し合いがいつになるか、まだ決まっていない。決まったら、また身構えるのだろうと思う。そのことが、少しだけ重い。

