親のスマートフォンが手元にある。ロックは解除できる状態かもしれないし、できない状態かもしれない。いずれにしても、その中身を見ることへのためらいがある。
相続手続きを進めるためには、親の契約関係や資産状況を把握する必要がある。スマートフォンの中には、そうした情報が含まれている可能性がある。しかし、同時に、親のプライベートな領域でもある。
見るべきなのか、見てはいけないのか。その判断がつかないまま、スマートフォンは置かれたままになる。
親のプライバシーという感覚
生きている間、親のスマートフォンの中身を勝手に見ることはなかった。それは当然のことだった。メールの内容、写真、検索履歴、アプリの利用状況。それらは親個人のものであり、子どもが見るものではなかった。
親が亡くなっても、その感覚は急には変わらない。亡くなったからといって、プライバシーがなくなるわけではない。そう感じる人がいる。
見なければ分からないこともある
一方で、スマートフォンの中を見なければ分からない情報がある。
どの銀行に口座があるのか。どのサービスと契約しているのか。月々の支払いがどこに発生しているのか。紙の通帳や書類がない場合、スマートフォンやメールが唯一の手がかりになることがある。
見ないことで、相続手続きが滞る。見ないことで、解約すべきサービスが放置される。見ないことで、気づかないまま請求が続く。
何が出てくるか分からないという不安
スマートフォンの中には、何が入っているか分からない。
親が子どもに見せていなかった交友関係、やり取りの履歴、保存された写真や動画。それらを目にすることで、知らなかった親の一面に触れることになるかもしれない。
知りたくなかったことを知ってしまうかもしれない。そうした不安が、スマートフォンを開くことへのためらいを生む。
兄弟の中で誰が見るか決まらない
スマートフォンの中身を確認する役割が、誰かに割り当てられるわけではない。
「私は見たくない」「あなたが見てくれ」。そうしたやり取りの中で、結局誰も見ないまま時間が過ぎることがある。見る役割を引き受けることへの心理的負担がある。
見た人が、その内容を他の兄弟に伝えなければならない。伝えるべきことと伝えなくてもいいことの線引きも、判断が難しい。
必要な情報だけ見ればいいという考え
「必要な情報だけ見ればいい」という考え方もある。メールアプリだけ開いて、契約関係の通知を確認する。写真フォルダやSNSには触れない。そうやって、プライバシーへの配慮と情報収集を両立させようとする。
しかし、必要な情報がどこにあるかは、見てみないと分からない。メールアプリを開いたつもりが、別の通知が目に入る。意図せず、見るつもりのなかったものを見てしまうこともある。
見た後の感情
スマートフォンの中身を見た後、複雑な感情が残ることがある。
親の日常の記録を目にすることで、改めて親がいなくなったことを実感する。知らなかった親の一面を知ることで、親への理解が変わる。あるいは、知りたくなかったことを知ってしまい、後悔する。
見たことを、他の兄弟に話すかどうかも判断が分かれる。「こういうものがあった」と伝えることで、関係が変わることもある。
見ないという選択
結局、見ないという選択をする家族もいる。
相続手続きに必要な情報は、他の方法で集める。金融機関に直接問い合わせる。郵便物を確認する。スマートフォンの中身には触れない。
見ないことで、把握できない情報が残る可能性はある。しかし、見ることの心理的負担を避けることを優先する。
スマートフォンの処分
相続手続きが終わった後、スマートフォンをどうするかという問題が残る。
データを消去して処分するのか、そのまま保管しておくのか。消去することへの抵抗がある人もいる。親の記録を消すことが、親の存在を消すことのように感じられる。
かといって、いつまでも保管しておくわけにもいかない。バッテリーは劣化し、機種は古くなっていく。いつか判断を下さなければならないが、その「いつか」が決まらない。
参考情報
– 総務省:デジタル遺品に関する情報

