相続は正解があると思われがちな場面

相続と人間関係

相続の話し合いが始まると、「正しいやり方」を探そうとする人がいる。法律ではどう決まっているのか、一般的にはどうするものなのか、専門家は何と言っているのか。正解を見つければ、それに従えばいいと考える。

しかし、相続の場面では、明確な正解が存在しないことも多い。法律が定めているのは最低限のルールであり、家族の事情や感情までは規定していない。正解があると思い込むほど、現実との間にずれが生じていく。


法定相続分という基準

相続には「法定相続分」という基準がある。配偶者が2分の1、子どもが残りを均等に分けるといったルールは、民法で定められている。この数字を見ると、相続には明確な答えがあるように思える。

しかし、法定相続分はあくまで目安であり、全員が合意すれば異なる分け方をすることもできる。実際の相続では、介護の負担や生前贈与の有無、不動産の扱いなど、法定相続分だけでは決められない要素が絡んでくる。


正解を求めて調べ始める

相続について調べ始めると、さまざまな情報が出てくる。法律の解説、手続きの流れ、専門家のアドバイス。それらを読んでいくと、「こうすればいい」という答えがどこかにあるように感じられる。

しかし、調べれば調べるほど、情報が増えていく一方で、自分の家族の状況にぴったり当てはまる答えは見つからないことに気づく。一般論と個別の事情は、必ずしも一致しない。


他の家族と比べてしまう

「うちの親戚はこうやって分けた」「友人の家ではもめなかった」。他の家族の事例を聞くと、それが正解のように思えることがある。自分たちもそうすればいいのではないかと考える。

しかし、家族ごとに事情は異なる。財産の内容も、家族関係も、過去の経緯も違う。他の家族でうまくいった方法が、自分の家族に当てはまるとは限らない。比較しても、正解は見つからない。


専門家に正解を求める

弁護士や税理士に相談すれば、正しい答えを教えてもらえると期待する人もいる。専門家の意見を聞けば、迷いがなくなると考える。

専門家は法律や税務の観点からアドバイスをすることはできる。しかし、「この家族はこう分けるべきだ」という判断を下すことはできない。最終的な決定は、家族自身がするしかない。専門家に丸投げしようとしても、その責任は引き受けてもらえない。


正解がないことへの戸惑い

正解があると思って探していたのに、見つからない。その状況に戸惑いを覚えることがある。何を基準に決めればいいのかわからなくなる。

正解がないということは、どの選択も間違いではないということでもある。しかし、そう言われても安心できない。「これでいいのか」という不安は消えないまま、判断を迫られることになる。


正解を主張する人が現れる

話し合いの中で、「こうするのが正しい」と主張する人が現れることがある。法律を根拠にしたり、一般論を持ち出したりして、自分の意見を正解として押し通そうとする。

他の家族は、その主張に反論しにくくなることがある。「正しい」と言われると、反対意見を言いにくい。しかし、その「正しさ」は、あくまでその人の解釈に過ぎないこともある。正解を主張することが、話し合いを難しくさせることもある。


公平という名の正解

「公平に分けるのが正解だ」という考え方もある。全員が同じ金額を受け取れば、誰も文句は言えないはずだと考える。

しかし、公平とは何かという問い自体に、唯一の答えはない。金額で等分することが公平なのか、貢献度に応じて分けることが公平なのか、必要性に応じて分けることが公平なのか。公平の定義は人によって異なる。


正解を求めるほど行き詰まる

正解があると思い込んでいると、それが見つからないときに行き詰まる。「正しい答えがあるはずなのに、なぜ決められないのか」と焦りが生まれる。

正解がないことを受け入れると、別の問いが立ち上がる。「正解がないとしたら、どうやって決めればいいのか」。その問いに向き合うことが、話し合いの入り口になることもある。


それぞれの「正解」がある

家族の中で、それぞれが自分なりの「正解」を持っていることがある。それは法律の解釈かもしれないし、感情に基づく判断かもしれない。どれも、その人にとっては正しいと感じられるものだ。

相続の話し合いは、それぞれの「正解」をすり合わせる作業でもある。唯一の正解を探すのではなく、全員が納得できる着地点を見つけること。それは簡単ではないが、正解を求め続けることとは違う種類の作業になる。


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