「相続はお金の話だろう」。そう思っている家庭は少なくない。財産をどう分けるか、税金はかかるのか、預貯金はいくらあるのか。相続という言葉から連想されるのは、まず金銭的な側面であることが多い。
しかし、実際に相続の場面を迎えると、お金以外の問題が次々と浮かび上がってくることがある。実家をどうするか、遺品をどう扱うか、誰がどの役割を担うか。金銭の分配は相続の一部にすぎないが、そのことに気づくのは話し合いが始まってからになることが多い。
金額が確定すれば終わると思っていた
財産の総額を把握し、法定相続分に従って分ければ終わる。そう思っている家庭では、話し合いの準備は財産の洗い出しに集中する。しかし、実際の話し合いでは、金額の多寡よりも「なぜその配分なのか」「生前にどれだけ支援を受けていたか」といった、数字では割り切れない話題が浮上することがある。
実家という財産の扱いが議論を変える
預貯金であれば数字で分けられる。しかし、実家の土地や建物は、分割が容易ではない。売却するのか、誰かが住み続けるのか、空き家にするのか。その選択は金銭的な損得だけでなく、故人との思い出や地域との関係、将来の管理負担など、さまざまな要素が絡み合う。お金の問題だと思っていた話し合いが、ここで性質を変える。
遺品整理が感情の領域に入る
故人の持ち物をどうするかという問題は、金銭的価値とは別の次元にある。写真、手紙、趣味の道具、衣類。それらに市場価値はほとんどないが、家族にとっての意味は人によって異なる。捨てたい人と残したい人の間に温度差が生まれ、そこに金銭の話し合いとは異なる緊張が走ることがある。
生前の関係性が話し合いに影響する
お金の話をしているはずなのに、話題がいつの間にか過去の家族関係に移っていることがある。「あの時、親に援助してもらっていたのではないか」「介護を担っていたのは自分だけだった」。こうした過去の記憶が、配分の議論に重なってくる。金銭的に公平な分割であっても、感情的に納得できるかどうかは別の問題になる。
手続きの負担が偏ることへの不満
相続の手続きは書類の収集、各機関との連絡、不動産の調査など、多岐にわたる。その作業を誰が担うかという問題は、お金の分配とは独立して存在する。手続きの負担が特定の人に集中した場合、その労力をどう評価するかという新たな論点が生まれる。お金の問題として出発した話し合いに、時間と労力という別の軸が加わる。
「公平」の意味が人によって違う
法定相続分による分割は、法律上は公平である。しかし、家族の間での「公平」は、それとは異なる基準で語られることがある。介護をしていた人は、その貢献が反映されるのが公平だと感じるかもしれない。遠方に住んでいた人は、均等に分けるのが公平だと感じるかもしれない。お金の分け方を議論しているように見えて、実際には「公平とは何か」という問いを巡っている場合がある。
相続を機に噴き出す役割への疲弊
生前から親の面倒を見ていた人、実家の管理をしていた人、家族間の連絡係をしていた人。そうした役割を担ってきた人にとって、相続はその延長線上にある。お金の話だけで済むのであれば簡単だが、相続をきっかけにこれまでの役割の重さが改めて意識されることがある。その疲弊は、金銭の配分では解消されない。
お金以外の論点が後から浮上する
話し合いの初期段階では金銭的な分配だけが議題だったのに、進めていくうちに予期しなかった論点が出てくることがある。故人の借入金、連帯保証、デジタル資産、未解約の契約。お金の問題だと思っていた枠組みでは収まらない事柄が次々と現れ、話し合いの範囲が広がっていく。
金銭で解決できない問いが残る
財産の分配が終わっても、家族の間に残るものがある。なぜあの配分になったのか、なぜあの人はあの態度だったのか、自分の選択は正しかったのか。そうした問いは、金銭の決着がついた後も消えないことがある。相続をお金の問題として扱うことは、扱いやすい部分だけを取り出していたのかもしれない。
お金の話だけだと思えていた時間
振り返ると、相続をお金の問題だけだと思えていた時期が、もっとも穏やかだったということがある。問題の全体像が見えていなかったからこそ、シンプルに感じられていた。全体像が見えてきたとき、相続という言葉が持つ範囲の広さに、初めて向き合うことになる家庭がある。
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