「落ち着いたら話そう」と言い続けて数か月が過ぎたケース

相続と人間関係

「落ち着いたら話そう」。この言葉は、相続の場面でしばしば使われる。葬儀の直後、四十九日の前後、あるいは年末年始を挟んで。そのたびに「今はまだ早い」「もう少し落ち着いてから」という空気が流れ、話し合いの時期は先に送られる。

誰かが意図的に避けているわけではないことも多い。全員が「そのうち話すことになるだろう」と思っている。ただ、「落ち着いた」と感じるタイミングが家族の中で揃うことはほとんどなく、結果として数か月が過ぎていく。

「落ち着く」の基準が人によって異なる

ある人にとっての「落ち着く」は、感情が安定することかもしれない。別の人にとっては、仕事が一段落することかもしれない。あるいは、法要が一通り終わることを指している場合もある。家族の誰もが「落ち着いたら」と口にするが、その中身が共有されていないため、いつまでも条件が満たされない状態が続く。

最初に言い出した人がそのまま待ち続ける

「落ち着いたら話そう」と最初に言ったのが誰であれ、その言葉がきっかけで全体が待機状態に入ることがある。言い出した側が改めて「そろそろ話さないか」と切り出すのは、心理的に負荷がかかる。一度保留にしたものを再び持ち出すことへの抵抗感が、沈黙をさらに長引かせる。

法要のたびに話が出かけて引っ込む

四十九日、百日、一周忌。家族が集まる機会はある。しかし、法要の場で相続の話を持ち出すことには抵抗を感じる人が多い。「今日はそういう場ではない」「故人を偲ぶ日にお金の話はしたくない」という気持ちが働き、話題は出かけては引っ込むことを繰り返す。

「急がなくても大丈夫」という空気が共有される

家族の中で、誰かが「急ぐ必要はない」と言えば、それに反論する人は少ない。急かすことは、お金に執着しているように見えるかもしれない。あるいは、故人への思いが薄いように映るかもしれない。そうした懸念が、全員を「急がなくてもいい」という合意に向かわせる。ただし、それは合意というよりも、誰も異論を唱えなかった結果にすぎないこともある。

日常が戻ることで緊急性が薄れる

葬儀の直後は、非日常の中にいるという感覚がある。しかし、数週間が経つと日常生活が戻ってくる。仕事があり、家事があり、子どもの行事がある。日常が戻るにつれて、相続の話題は「いつかやらなければならないこと」のリストに入り、しかしそのリストの上位には上がってこない。

期限が意識されていない場合がある

相続税の申告期限は死亡を知った日の翌日から10か月、相続放棄の期限は3か月。こうした期限の存在を知らないまま、「落ち着いたら」の状態が続くことがある。期限を知っている家族がいたとしても、それを切り出すことが「急かしている」と受け取られるのではないかという懸念があり、言い出せないまま日が過ぎることもある。

他の手続きが先に進んでいく

相続の話し合いは保留されていても、それ以外の手続きは進んでいくことがある。年金の手続き、保険の請求、公共料金の名義変更。それらが個別に処理されることで、「やるべきことはやっている」という感覚が生まれ、相続の本題に入る動機がさらに弱まる。

数か月後に感じるズレ

数か月が経ち、ようやく話し合いの場が設けられたとき、それぞれの認識にズレが生じていることがある。ある人はすでに調べものを進めていて、別の人はまだ何も考えていない。ある人は具体的な分割案を持っていて、別の人は話し合いの趣旨すら把握していない。保留していた時間の中で、各自の距離感が静かに開いている。

「まだ話していなかったのか」という反応

親戚や外部の人から「もう話し合いは済んだのか」と聞かれることがある。その時に初めて、数か月が経っているという事実に向き合う家庭もある。外からの問いかけがなければ、さらに時間が過ぎていた可能性もある。内側からは見えにくい時間の経過が、外側からの視点で初めて浮き彫りになる。

保留は決定ではないが、方向を持ち始める

「落ち着いたら話そう」という保留は、決定を先送りしているだけに見える。しかし、保留の期間が長くなるほど、そこには暗黙の前提や既成事実が積み重なっていくことがある。誰かが実家の管理を引き受けていたり、特定の口座を使い続けていたり。話し合いの前にすでに、ある種の方向性が形作られている場合がある。何も決めていないように見える時間も、何かを決めているのかもしれない。


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