相続が始まった実感が持てないまま時間が過ぎたケース
親が亡くなった。葬儀を終え、日常に戻る。仕事に行き、家事をこなし、以前と同じような生活が続く。
相続という言葉は頭にある。手続きが必要なことも知っている。しかし、「相続が始まった」という実感がどこかで持てないまま、日々が過ぎていく。気づいたときには、数か月が経っていた。
この感覚は珍しいものではない。相続には明確な開始の合図がない。誰かが「今日から相続です」と宣言してくれるわけではない。だからこそ、始まっている実感を持てないまま時間だけが過ぎていくことがある。
相続の開始は自動的に起きる
法律上、相続は被相続人が亡くなった瞬間に開始する。届け出をしたから始まるわけではなく、手続きをしたから始まるわけでもない。死亡と同時に、自動的に開始している。
この自動性が、実感の薄さにつながっている。何かを始めるために行動したわけではない。申請したわけでも、契約したわけでもない。気づいたら、すでに相続人という立場になっていた。
自分から始めたものではないからこそ、「自分事」として捉えにくい面がある。
日常が続くことで薄れる意識
親が亡くなった後も、日常生活は続く。仕事、家事、子どもの世話、友人との付き合い。やるべきことは山のようにあり、それらをこなしているうちに一日が終わる。
相続のことを考える時間がない、というよりも、考えなくても一日が回ってしまう。緊急の問題が目の前にあれば対応するが、相続は今日明日で何かが起きるわけではない。
日常の中に相続が割り込んでくる瞬間がないと、意識の中で後ろに追いやられていく。
明確なきっかけがないまま過ぎる時間
相続を始めるきっかけになりそうな出来事はいくつかある。銀行から連絡が来る、不動産の固定資産税の通知が届く、保険会社から書類が届く。
しかし、これらがすべての家庭に同じタイミングで届くわけではない。届いても、他の郵便物に紛れて見落とすこともある。「あとで確認しよう」と思って、そのまま忘れることもある。
きっかけを待っていても、きっかけは向こうから来てくれるとは限らない。自分から動かなければ、何も始まらないまま時間が過ぎる。
葬儀が終わると区切りがつくような感覚
葬儀は、親の死に対する一つの区切りとして機能する。通夜、告別式、火葬、初七日。これらを終えると、「やるべきことは終わった」という感覚が生まれやすい。
実際には、相続の手続きはこれから始まる。しかし、葬儀という大きなイベントを乗り越えた後は、精神的にも肉体的にも疲れている。「少し休んでから」「落ち着いてから」という気持ちになるのは自然なことである。
その「落ち着いてから」が、いつの間にか数か月になっていることがある。
誰も急かしてこない期間
相続の手続きには期限があるものもあるが、期限が来るまでは誰も急かしてこない。銀行は口座を凍結するが、「早く手続きしてください」と催促してくるわけではない。税務署も、申告期限が近づくまでは連絡してこない。
誰からも急かされないと、「まだ大丈夫」という感覚が続く。外部からのプレッシャーがないと、自分から動くモチベーションを維持することは難しい。
この期間が、実感の薄さを長引かせる要因になっている。
期限が意識されにくい構造
相続に関連する期限はいくつかある。相続放棄は3か月以内、相続税の申告は10か月以内、不動産の相続登記にも期限がある。
しかし、これらの期限を最初から意識している人は少ない。相続の経験がなければ、何にどのような期限があるのかを知らないのは当然である。調べなければわからないし、調べようという気持ちが起きるには、まず「相続が始まっている」という実感が必要である。
実感がないから調べない、調べないから期限を知らない、期限を知らないから焦らない。この循環が、時間を過ぎさせていく。
実感が生まれる瞬間
相続が始まっているという実感は、何かの出来事をきっかけに生まれることがある。
銀行口座が凍結されて、親のお金が動かせないことを知ったとき。不動産の名義変更が必要だと言われたとき。他の相続人から「そろそろ話し合おう」と連絡が来たとき。相続税の申告期限が近づいていると気づいたとき。
こうした具体的な場面に直面して、初めて「自分は相続人なのだ」という認識が明確になる。それまでは、どこか他人事のように感じていたことに気づくこともある。
時間が経ってから気づく焦り
実感が生まれたときには、すでにかなりの時間が経過していることがある。数か月、場合によっては半年以上。
その時点で、「なぜもっと早く動かなかったのか」という後悔が生まれることがある。期限が迫っている、書類が揃っていない、他の相続人との調整ができていない。やるべきことが山積みになっている状態で、焦りが押し寄せる。
焦りの中で動くと、判断を誤りやすい。落ち着いて進めたいが、時間がない。そのジレンマに苦しむことになる。
結び
相続が始まったという実感は、自然には生まれにくい。明確な開始の合図がなく、日常が続き、誰も急かしてこない。そうした環境の中で、時間だけが静かに過ぎていく。
実感が生まれるのは、多くの場合、何かに直面したときである。そのとき初めて、自分が相続人であることの意味を理解する。
時間はあるようで、ない。その感覚を持つのは、時間が過ぎてからになることが多い。

