相続に関与しない人が悪者になりやすい構造
相続の話し合いに参加しない人、手続きに協力しない人、連絡に応じない人。そうした人に対して、他の相続人から不満が向けられることがある。
「なぜ協力しないのか」「無責任だ」「自分勝手だ」。関与しないという態度が、悪意のある行動として解釈されやすい。本人にどのような事情があっても、それが考慮されないまま、「悪者」として扱われる構造がある。
この構造は、相続という場面に特有のものかもしれない。関与することが当然とされる前提の中で、関与しないことは逸脱として映る。
関与しないことが目立つ理由
相続の手続きには、相続人全員の関与が必要になる場面がある。遺産分割協議書への署名、金融機関への届け出、不動産の名義変更。これらは、一人でも欠けると進められないことがある。
全員の関与が必要な場面では、関与しない人の存在が特に目立つ。「あの人がいないから進まない」「あの人が署名しないから手続きができない」。関与しないことが、他の相続人の行動を阻害する要因として認識される。
関与している人からすれば、関与しない人は「問題を起こしている人」として映りやすい。
負担が偏ることへの不満
相続の手続きには、さまざまな作業がある。書類の収集、金融機関への連絡、不動産の調査、相続人間の連絡調整。これらの作業を誰かが担わなければならない。
関与しない人がいると、その分の作業が他の相続人に集中する。作業を担っている人からすれば、「なぜ自分だけがやらなければならないのか」という不満が生まれる。
この不満は、関与しない人への怒りとして表出しやすい。「協力しない」という事実が、その人の人格全体への批判につながることがある。
沈黙が悪意として解釈される構造
関与しないという態度は、多くの場合、沈黙として現れる。連絡をしない、返事をしない、話し合いに出席しない。何も言わないことが、メッセージとして受け取られる。
沈黙は、さまざまな解釈を許す。賛成しているのか、反対しているのか、無関心なのか。わからないからこそ、最も悪意のある解釈がされやすい。「わざと無視している」「困らせようとしている」「自分に有利になるように引き延ばしている」。
沈黙の理由を知らなければ、想像で埋めるしかない。その想像は、往々にしてネガティブな方向に傾く。
「自分だけ楽をしている」という見え方
関与している人は、時間と労力を費やしている。仕事の合間を縫って手続きを進め、週末を使って書類を整理し、精神的なストレスを抱えながら話し合いに参加している。
その状況で、関与しない人を見ると、「自分だけ楽をしている」ように見える。手続きの負担を負わず、話し合いのストレスも感じず、ただ結果を待っている。そう見えてしまう。
実際には、関与しない人にも事情があるかもしれない。しかし、その事情は見えない。見えるのは、「関与していない」という事実だけである。
事情を説明しても理解されにくい場面
関与しない理由を説明しようとしても、理解されないことがある。
「仕事が忙しくて時間がない」と言えば、「自分だって忙しい」と返される。「遠方に住んでいて参加が難しい」と言えば、「電話やメールでも参加できる」と言われる。「精神的に辛くて対応できない」と言えば、「甘えだ」と批判される。
どのような理由を述べても、それが正当な理由として受け入れられるかどうかは、聞く側の状況や価値観による。自分が負担を感じているときに、他者の事情に寛容になることは難しい。
関与しない理由が共有されない問題
関与しない人の多くは、理由を持っている。しかし、その理由が他の相続人に共有されないことがある。
理由を説明することで関係が悪化することを恐れている。過去の家族関係のトラブルが背景にあり、それを話したくない。説明しても理解されないと諦めている。そうした事情で、理由が語られないまま沈黙が続く。
理由が共有されなければ、他の相続人は想像で判断するしかない。「きっとこういう理由だろう」「たぶん悪意があるのだろう」。想像は事実とは異なることが多い。
悪者にされることで関与がさらに難しくなる
一度「悪者」として扱われると、その後の関与がさらに難しくなることがある。
「どうせ何を言っても批判される」「今さら参加しても歓迎されない」「自分がいない方がうまくいくのではないか」。そうした感覚が、関与への意欲を削ぐ。
また、他の相続人からの攻撃的な態度に直面すると、防衛的になる。話し合いに参加しても、批判されることを恐れて発言できない。あるいは、批判に対して反発し、対立が深まる。
悪者にすることで問題が解決するわけではない。むしろ、関与を促すことがより難しくなる場合がある。
構造的な問題としての認識
関与しない人が悪者になりやすいのは、個人の性格の問題というよりも、構造的な問題として捉えることができる。
相続という場面では、全員の関与が前提とされている。その前提から外れる人は、「問題のある人」として扱われやすい。これは、その人が本当に問題を抱えているかどうかとは別の話である。
また、関与している人は負担を感じており、その負担の原因を誰かに帰したいという心理が働く。関与しない人は、その原因として名指しされやすい位置にいる。
構造的な問題であることを認識しても、すぐに解決できるわけではない。ただ、「悪者」を作ることで問題が解決するわけではないことは、意識しておく価値があるかもしれない。
結び
相続に関与しない人がいるとき、その人が「悪者」として扱われやすい構造がある。負担の偏り、沈黙の解釈、見える情報の限界。これらが組み合わさって、関与しない人への批判が生まれる。
本人には本人の事情がある。しかし、その事情は共有されにくく、理解されにくい。結果として、事情を知らないまま評価が下される。
「悪者」を作ることは、一時的に不満のはけ口になるかもしれない。しかし、問題の解決にはつながらないことが多い。

