相続は、亡くなった直後から動き始めるものだと思われていることがある。実際には、葬儀や各種届出に追われているうちに最初の数週間が過ぎ、その後に訪れる空白の時間の中で、話し合いの場が設けられないまま月日が流れていくことがある。
一年という時間は、外から見れば長い。しかし当事者にとっては、日常の中に相続の話題を差し込むきっかけがないまま過ぎていく時間でもある。誰かが動けばよかったのかもしれないが、誰も動かなかった。その結果が一年という数字になっている。
最初の数か月は「まだ早い」と感じやすい
葬儀が終わった直後は、家族それぞれが喪失感や日常の変化と向き合っている時期にあたる。この段階で相続の具体的な話を切り出すことには、どこか後ろめたさが伴うことがある。「もう少し落ち着いてから」という感覚は、誰にとっても自然に見える。しかし、その「もう少し」がいつ訪れるのかは、誰も決めていない。
半年を過ぎると話題にしにくくなる
時間が経つほど、相続の話題は切り出しにくくなる傾向がある。半年が過ぎると、触れなかった時間そのものが一種の暗黙の了解のように感じられ、今さら言い出すことへの抵抗が生まれる。話題にしなかったこと自体が、話題にしない理由になっていく。
それぞれが別の日常に戻っている
家族が同じ場所に住んでいない場合、葬儀後にそれぞれの生活に戻ることになる。仕事があり、家庭があり、日々の予定がある。相続の話し合いのために改めて集まること自体が、スケジュール上の負担になりやすい。優先順位の中で、相続の話は後回しにされやすい位置にある。
「誰かが声をかけるだろう」という前提
家族の中で、相続の話を始める役割が暗黙のうちに特定の人に期待されていることがある。長男、同居していた人、親と頻繁に連絡を取っていた人。しかし、期待されている側がそれを自覚しているとは限らない。全員が「誰かが始めるだろう」と思っていると、誰も始めないまま時間が過ぎる。
連絡の頻度が下がっている
葬儀の前後は頻繁だった家族間の連絡も、時間が経つにつれて減っていく。日常の用件以外で連絡を取る機会が少なくなり、相続の話をするための入り口そのものが狭くなる。電話やメッセージで急に相続の話を始めることは、双方にとってハードルが高い。
手続きの期限を知らないまま過ぎている
相続には、税務申告や相続放棄など、法律上の期限が設けられているものがある。しかし、それらの期限を正確に把握している人がいない場合、期限が近づいていること自体に気づかないまま時間が過ぎることがある。一年が経って初めて「期限があったのか」と知ることもある。
話し合いの場を設ける負担
一年が経過した時点で話し合いを始めるには、場を設ける側にかなりの負担がかかる。日程調整、議題の整理、必要書類の確認。これらを一人で引き受けることになりやすく、その負担を想像するだけで声をかけることをためらう人もいる。
一年前の記憶があいまいになっている
時間の経過とともに、親の生前の話や財産に関する情報の記憶があいまいになっていく。通帳の場所、保険の有無、不動産の名義。葬儀の頃にはなんとなく分かっていたことが、一年後には確認し直さなければならない状態になっていることがある。
「一年も放置した」という意識が重くなる
一年という時間が経つと、「ここまで放置してしまった」という意識が関係者の間に生まれることがある。その意識は、話し合いを始めることへのさらなる抵抗につながる。放置した時間が長いほど、最初の一歩を踏み出すための心理的なコストは大きくなる。
時間は問題を解決しないが、問題を変質させる
一年が経っても、相続の問題そのものは消えない。しかし、問題の性質は変わっている。期限が過ぎているものがあるかもしれない。記憶が薄れているかもしれない。家族の関係性も、一年前とは微妙に異なっているかもしれない。時間が経過すること自体が、状況に新たな層を重ねている。
参考情報
