相続の話し合いには、最初から参加しないと伝えていた。兄弟のグループLINEには残っているが、相続のやりとりが始まると既読だけにして、返事は書かない。そのうち、相続の話は別のグループで続けられ、自分はそこに追加されなかった。追加されなかったことで、もうその話題からは外れたのだと分かった。外れたまま、連絡の頻度は減り、会う機会も減っていった。
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離れたあとに見える役割の固定
話し合いに参加していないのだから、結果には口を出さないと言っていた。その言葉どおり、口を出さなかった。その代わり、誰が窓口になり、誰が書類を揃え、誰が専門家とやりとりするかは、自分が知らないうちに決まっていった。決まったあとで、概要だけがLINEで共有された。共有を見ても、もう意見を言う立場にはいないと分かっていた。
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聞かないことで保たれていた距離
こちらから相続の進捗を聞くことはしなかった。聞けば、またその話に巻き込まれる気がした。聞かなかったことで、向こうもわざわざ報告してこなくなった。報告がないことが、自分がもうその話の外にいることの確認になった。確認されるたびに、家族のなかでの自分の位置が、相続に関わらない人として固定されていった。
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離れた側から見える「決まっていくこと」
離れているからこそ、何が決まり、何が決まっていないかは、断片的にしか分からない。分からないまま、ある日を境に「話し合いは一区切りついた」とだけ伝えられた。誰が何を引き取り、誰が何をしたか。細かくは聞かなかった。聞いていないことが、もう関わらないという選択の結果として残った。
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話題から離れたあとの関係の形
相続の話が一段落したあとも、兄弟との連絡は、相続前ほどには戻らなかった。戻らないことが、悪いとも思っていない。ただ、あのとき話題から離れたことが、その後の距離感の前提になっているとは感じる。感じるだけで、それを話題にすることはない。
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視点として残るもの
今でも、相続の話が出ると、自分はあのとき離れた側だったと思い出す。離れた側にいることで、何が失われ、何が残ったか。答えは出さない。出さないまま、その視点だけが残っている。

