相続の手続きが始まると、自然と役割が分かれていく。誰かが窓口になり、誰かが書類を集め、誰かが連絡係を担う。最初は流動的だったそれが、いつの間にか固定されていく。
「この件はあの人に任せておけばいい」。そう思われるようになると、その人の負担は増え続ける。一方で、任されなかった人は少しずつ周辺に追いやられていく。
気づいたときには、役割分担は動かしにくいものになっている。
最初は自然に決まっていく
相続の手続きには、さまざまな作業がある。役所への届出、金融機関への連絡、必要書類の取り寄せ、他の相続人への連絡。これらを誰がやるか、最初から話し合って決める家庭は少ない。
多くの場合、自然と動き出した人がそのまま担当になる。実家に近い人、時間に余裕がある人、以前から親のことを把握していた人。そういった人が、流れの中で役割を引き受けていく。
この時点では、誰も「役割を固定しよう」とは思っていない。ただ、目の前のことを片付けているだけ。
「できる人がやる」という流れ
「自分がやるより、あの人がやった方が早い」。そう判断されることで、特定の人に作業が集中していく。
できる人、というのは必ずしも能力の問題ではない。物理的に動きやすい環境にいる人、平日に時間が取れる人、書類作業に抵抗が少ない人。そういった条件が揃っている人に、作業は流れていく。
本人が望んだわけではなくても、「あなたがやってくれるなら助かる」という空気の中で、役割は固まっていく。
一度引き受けると降りにくくなる構造
最初に動いた人が、その後も継続して担当する。一度「この人がやる」という認識ができると、途中で変えるには説明が必要になる。
「もう手続きの流れが分かっているから」「途中で替わると混乱するから」。そういった理由で、同じ人が最後まで担当し続けることになる。
引き受けた側も、途中で「もうできない」と言い出しにくい。言えば、それまでの流れを止めてしまう。他の人に負担をかけてしまう。そう考えると、黙って続けた方が楽に思えてしまう。
任されなかった側の立ち位置
一方で、役割を任されなかった人は、少しずつ相続の本流から離れていく。情報が入ってこなくなり、進捗も分からなくなる。
「何かあれば連絡する」と言われたきり、連絡が来ない。聞けば教えてもらえるが、聞かなければ何も分からない。次第に、「自分は関係ない」という感覚が生まれてくる。
その感覚は、必ずしも不満とは限らない。楽だと思う人もいる。ただ、いざ何かを決める場面になったとき、発言しにくくなっていることに気づく。
負担の偏りが見えにくい理由
役割を担っている人がどれだけの時間と労力を使っているか、他の相続人からは見えにくい。
銀行に何度足を運んだか、書類を何枚書いたか、電話を何回かけたか。そういった細かい作業は、報告されない限り分からない。報告する側も、いちいち言うほどのことではないと思って言わない。
結果として、「あの人がやってくれている」という認識だけが残り、その中身は見えないまま進んでいく。
途中で役割を変えにくい空気
相続の途中で、役割分担を見直そうという話が出ることは少ない。見直す必要があると感じていても、言い出しにくい空気がある。
「ここまでやってもらったのに、今さら替わると言い出せない」という遠慮がある。「自分がやると言っても、かえって迷惑かもしれない」という躊躇もある。
役割を担っている側も、「助けてほしい」と言いにくい。それを言えば、これまでの努力が否定されるような気がする。結局、誰も何も言わないまま、固定化は進んでいく。
固定化された後に残る感情
相続が終わった後、役割を担った人の中に疲労感が残ることがある。感謝されたかどうかは別として、自分だけが動いたという感覚が消えない。
一方で、役割を担わなかった人の中にも、どこか引っかかるものが残ることがある。もっと関わればよかったのか、関わらなくてよかったのか。その判断が正しかったのか、分からないまま。
相続が終わっても、この感覚だけが残り続けることがある。
役割分担と発言権の関係
役割を担った人は、自然と情報を多く持つようになる。手続きの進捗、財産の詳細、専門家とのやり取り。そういった情報は、担当者に集まる。
情報を持っている人は、話し合いの場でも発言しやすくなる。逆に、情報を持っていない人は、何を言っていいか分からなくなる。
こうして、役割分担は発言権の偏りにもつながっていく。最終的な決定に関わる度合いが、役割によって変わってくる。
結び
相続における役割分担は、誰かが意図して決めたものではないことが多い。流れの中で、自然とそうなっていく。
一度固まった役割は、途中で変えることが難しい。変えるには、誰かが声を上げなければならない。しかし、その声を上げることにも、別のハードルがある。
役割が固定されていく過程は、静かに進んでいく。気づいたときには、もう動かせないところまで来ている。
