相続の話し合いに、毎回同じ人だけが出席する家庭

相続と人間関係

相続の話し合いが始まると、最初は家族全員が集まることが想定されている。しかし、回を重ねるうちに、出席する人と欠席する人が固定化されていくことがある。

毎回同じ人だけが出席し、他の人は来なくなる。その状態が続くと、話し合いの場の性質そのものが変わっていく。

最初の欠席が次の欠席を生む

一度欠席すると、次の話し合いに出席しづらくなることがある。前回の内容を把握していない状態で参加することへの抵抗が生まれる。

欠席が続くと、その人がいなくても話し合いは進む。進んだ話し合いに後から加わることは、さらに難しくなる。

出席する人の負担が増えていく

毎回出席している人は、話し合いの内容をすべて把握している。決定事項を覚えており、次に何をするかも理解している。

その結果、相続に関する知識と責任が、出席者に集中していく。出席者は、欠席者に情報を伝える役割も担うことになる。

欠席者への連絡が形式化する

話し合いの後、欠席者に内容を伝えることが習慣になる。最初は丁寧に説明していても、回数を重ねるうちに連絡は簡略化されていく。

「大体こういう話になった」「特に問題なく進んでいる」。そうした短い報告で済まされるようになることがある。

欠席者が意見を出しにくくなる構造

話し合いに参加していない人が、後から意見を述べることは容易ではない。すでに議論を経て決まったことに対して、異を唱えることへの遠慮が生まれる。

「その場にいなかったのだから」という空気が、暗黙のうちに形成されることがある。欠席者の発言権は、実質的に制限されていく。

出席者の間で認識が固定化する

毎回同じメンバーで話し合いを続けると、そのメンバーの間で共通の認識が形成される。誰が何を担当するか、何が優先されるべきか。そうした前提が、暗黙の了解として定着していく。

その認識は、欠席者には共有されていない。後から加わろうとしても、すでに出来上がった前提を理解するところから始めなければならない。

欠席の理由が問われなくなる

最初のうちは、欠席者に対して「次は来られるか」と確認することがある。しかし、欠席が常態化すると、その確認もなくなっていく。

「あの人は来ない」という前提で話し合いが組まれるようになる。欠席者の不在は、もはや例外ではなく、通常の状態として扱われる。

出席者の疲弊と不満

毎回出席している人は、自分だけが負担を負っているという感覚を抱くことがある。なぜ自分ばかりが時間を使っているのか。なぜ他の人は来ないのか。

その不満は、話し合いの場では表に出ないことが多い。しかし、内側には蓄積されていく。

欠席者の側から見える景色

欠席している側にも、それぞれの事情がある。仕事の都合、体調、物理的な距離。さまざまな理由で出席が難しいことがある。

しかし、出席者からはその事情が見えにくい。「来られるのに来ない」と思われることもある。欠席者は、そうした視線を感じ取っていることがある。

役割の固定化がもたらす影響

話し合いへの出席・欠席のパターンは、相続における役割分担とも連動していく。出席者は実務を担い、欠席者は報告を受けるだけ。そうした役割が固定化されると、後から変えることは難しくなる。

相続が終わった後も、その役割分担が家族の関係性に影響を残すことがある。

結びに

毎回同じ人だけが出席する状態は、意図して作られたものではないことが多い。しかし、その状態が続くと、話し合いの構造そのものが変わっていく。誰がその場にいるかによって、何が話されるかが変わる。


参考情報
法務省:相続に関する手続きについて