兄弟それぞれが別のゴールを想定していた相続
相続の話し合いが始まったとき、兄弟全員が同じ方向を向いていると思っていた。ところが、話を進めるうちに、どこか噛み合わない感覚が出てくる。反対しているわけではない。怒っているわけでもない。ただ、話がまとまらない。
後から振り返ると、それぞれが思い描いていた「相続のゴール」が違っていたことに気づく。ある人は早く終わらせることを目指していた。別の人は公平に分けることを重視していた。また別の人は、実家を残すことが前提になっていた。
同じ家庭で育った兄弟であっても、相続に対する前提は一致しているとは限らない。その前提のズレが、話し合いの中で少しずつ表面化していく。
話し合いが始まる前に前提は共有されない
相続の話し合いが始まるとき、「何を目指すか」について事前に確認されることは少ない。葬儀が終わり、少し落ち着いた頃に、自然と財産の話題が出てくる。そこでは「どう分けるか」という具体的な論点から話が始まることが多い。
それぞれの兄弟が、相続に対してどのような考えを持っているのか。何を優先したいと思っているのか。そうした前提は、暗黙のまま話し合いに持ち込まれる。自分の前提が他の兄弟と共有されているかどうか、確認する機会がないまま話が進んでいく。
前提が共有されていないことに気づくのは、意見が食い違ったときである。そのとき初めて、「そもそも目指しているところが違っていた」という構造が見えてくる。
「早く終わらせたい」という人の視点
相続を早く終わらせたいと考える人には、いくつかの背景がある。遠方に住んでいて何度も帰省できない。仕事が忙しく、手続きに割ける時間が限られている。あるいは、相続という話題自体が精神的な負担になっている。
こうした人にとって、話し合いが長引くことは避けたい事態である。細かい点にこだわるよりも、大枠で合意してさっさと終わらせたい。多少の不公平があっても、時間をかけて調整するよりはましだと感じる。
この視点からすると、細部にこだわる兄弟は「話を複雑にしている」ように見えることがある。なぜそこまで時間をかける必要があるのか、理解しにくい。
「公平に分けたい」という人の視点
公平さを重視する人は、財産の分配が均等であることに価値を置く。法定相続分に従って分けることが基本だと考えている場合もあれば、これまでの貢献度や負担を考慮した上での公平さを求めている場合もある。
この視点からすると、「早く終わらせるために適当に分ける」という態度は納得しにくい。時間がかかっても、きちんと計算して公平に分けることが、後々の関係を守ることにつながると考えている。
公平さの定義自体が人によって異なることも、話を複雑にする要因になる。金額で均等に分けることが公平なのか、実家の近くに住んで親の面倒を見た人が多く受け取るのが公平なのか。その基準は一致していないことが多い。
「実家を残したい」という人の視点
実家を売却せずに残したいと考える人もいる。自分が住み続けたいという理由の場合もあれば、親が建てた家を手放すことへの抵抗感が背景にある場合もある。あるいは、将来的に子どもや孫が使うかもしれないという漠然とした期待があることもある。
この視点からすると、「売却して現金で分ける」という選択肢は最初から外れている。実家を残すことを前提に、他の財産で調整するか、代償金を支払うかといった方向で話を進めたいと考える。
ただ、実家を残すという選択は、他の兄弟にとっては不公平に映ることがある。不動産を引き継ぐ人と現金を受け取る人の間で、価値の評価が一致しないことも多い。
「親の意向を尊重したい」という人の視点
親が生前に何か言っていた場合、それを尊重したいと考える人がいる。遺言書がなくても、「お父さんはこう言っていた」「お母さんはこうしてほしかったはず」といった記憶を根拠に、特定の分け方を主張することがある。
この視点では、親の意向が最優先される。法定相続分よりも、親が望んでいたであろう形に近づけることが、親への敬意だと感じている。
ただ、親の意向として語られる内容が、兄弟間で一致しないことがある。それぞれが親から別のことを聞いていたり、同じ言葉を異なる意味で解釈していたりする。親の意向を尊重したいという思い自体は共有されていても、その内容が食い違うと、話し合いは複雑になる。
ゴールの違いが対立に見えてしまう瞬間
ゴールが異なる状態で話し合いを続けていると、意見の相違が人格的な対立に見えてくることがある。「あの人は自分のことしか考えていない」「お金に執着している」「感傷的すぎる」といった評価が生まれやすい。
実際には、それぞれが自分なりの基準で誠実に考えている場合がほとんどである。ただ、その基準が異なっていることが見えにくいため、相手の言動が不可解に感じられる。理解できない言動は、悪意や身勝手さとして解釈されやすい。
対立が深まると、話し合いの本題よりも、「あのときの言い方が気に入らなかった」「なぜ自分だけが譲らなければならないのか」といった感情的な論点が前面に出てくることがある。
譲歩が噛み合わない構造
ゴールが異なる状態では、譲歩が譲歩として機能しないことがある。
たとえば、早く終わらせたい人が「細かいことはいいから、この案で決めよう」と提案する。本人としては譲歩のつもりである。ただ、公平さを重視する人からすると、それは「適当に済ませようとしている」ように見える。譲歩ではなく、むしろ問題の軽視として受け取られる。
逆に、公平さを重視する人が「もう少し時間をかけてきちんと計算しよう」と提案する。本人としては丁寧に進めようという姿勢である。ただ、早く終わらせたい人からすると、「わざと引き延ばしている」ように感じられることがある。
それぞれが譲歩しているつもりでも、その譲歩が相手には届かない。この構造が続くと、双方に「自分ばかりが我慢している」という感覚が蓄積していく。
話し合いが長引くほど疲弊が蓄積する
ゴールの違いが解消されないまま話し合いを続けていると、時間の経過とともに疲弊が蓄積していく。話し合いのたびに同じ論点が繰り返され、進展がないように感じられる。
疲弊が蓄積すると、話し合いへのモチベーション自体が低下する。「もうどうでもいい」「好きにすればいい」といった投げやりな態度が出てくることがある。その態度が、他の兄弟には「無責任」や「非協力的」として映ることもある。
話し合いを続けること自体が目的化し、何を目指しているのかが見えなくなる場面もある。終わりが見えない状態で話し合いを続けることは、想像以上に消耗する。
ゴールの違いに気づいたときの感覚
話し合いの途中で、「そもそも目指しているところが違っていたのか」と気づく瞬間がある。その気づきは、必ずしも問題の解決にはつながらない。ただ、なぜ話が噛み合わなかったのかが少し見えてくる。
ゴールの違いに気づいたとき、安堵を感じる人もいれば、徒労感を覚える人もいる。これまでの話し合いは何だったのか、という思いが浮かぶこともある。
気づいたからといって、ゴールを統一できるとは限らない。それぞれの前提には、それぞれの事情や価値観が反映されている。簡単に変えられるものではないことも多い。
結び
同じ親のもとで育った兄弟であっても、相続に対する前提は一致しているとは限らない。何を優先するか、何を守りたいか、何を早く終わらせたいか。それぞれが異なるゴールを持ったまま、同じテーブルについている。
ゴールの違いは、話し合いを始める前には見えにくい。意見が食い違い、話が進まなくなったときに、ようやくその存在が浮かび上がってくる。そのとき、対立しているのは人ではなく、前提なのかもしれない。

